ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

直ちに取り押さえ、器具等を取上げ其の本人を番人方に抑留して自分の家に帰さなかった、然るときは、其の者の家では取り押さえられたる見込みを付けて、親戚または近隣の者を頼み、酒その他の進物を携帯させて詫びを入れたので、その後解放され家に帰ることができた、この如き犯行が数次に及んだ者は庄屋宅に連行、窃盗犯人として、公然其の者の村庄屋に掛け合ったのである、此のように取り締まりが厳重だったので、浪逆浦の採藻、漁魚等は潮来村民の独占であった、そして潮来村より水戸藩に納税(運上金、又は益金と云う)したのは享保十年( 一七二五)に始まると伝えられる、其の頃の採藻の分が一ヶ年、御采料として金一両、魚漁が毎年金七両二分、鳥猟が金十両で、此れは引き続き明治四年廃藩まで納入した、此の皆済目録(受取書)は連年分を一綴りにして、潮来町役場に保存してあったが、数年前不必要品として焼却された、此浪逆浦に関する一端を知るために総川漁場の訴訟に就き、延享三年( 一七四六)六月、名主平太夫、組頭次郎左衛門百姓代人右衛門より幕府支配戸田忠兵衛役所に差し出された訴状の一節を掲げるとする、なまずかわわにかわ先達て先御支配様え御注進相願い候う場所は、能川より浪逆浦鰐川落合迄と願い奉り候う所、凡そ川長七百間程御座候、右川長の内、鰐川漸く百四、五十間程之有り、五百間余りの浪逆浦猟場相掛り申し候、浪逆浦の儀は、古来より潮来村地内にて猟稼ぎ渡世仕り候、勿論藻草取り上げ田畑助け仕り場所に御座候、右鮭川の儀、前書に申し上げ候う通り、巾九尺程の小江間吹切川に成り候う場所、二重谷地内に御座候えば、全くこの儀二重谷村地先にて、潮来村にて猟稼ぎ仕る可き場所と恐れ乍ら存じ奉り候、漸く能川の儀は百五十間程御座候う所、其の末は浪逆浦にて御座候、此の所に往古より潮来村にて網代掛け置き、即ち網代小舟役銭御采金一両宛となして、諸事漁事仕り候う故、先々より水戸御役所え差し上げ来り申し候、御慈悲の御了簡を以て、御運上場御用捨下され候はば有り難く存じ奉り候、(以下略)人エ上平太夫外二名より戸田忠兵衛役所え差し出したる願書の抜粋左の如し、一、二重谷地内、能川より浪逆浦、鰐川落ちまで、先達て御注進御座候うに付、当村より先御支配様迄、また又此の度も殴様え御願い申し上げ候う処、右場所此の度御見分の上、浪逆浦の儀は、水戸領潮来村漁場に相懸り候うに付き云々、延享三年八月延享三年九月全上二重谷村名主平太夫、組頭次郎左衛門、百姓代八右衛門より戸田忠兵衛役所え差し出したる願書の抜録一、浪逆浦の儀は、古来より潮来村にて支配仕り来たり、二重谷村御用地、潮来村田畑の助けに藻草取り上げ耕作仕り候、前まえより只今に至る迄で潮来村より番人付け置き、他村の者には一切取らせ申さず藻草取り来り申し候、総川他え相渡し候うても、猟事差し支えにも被成申し候うなどと申し候うて藻草取り上げ候う儀、自由には取り上げ兼申す可きゃと存じ奉り候、網引申し候う時分は往来の通船をも差し止め候う程の儀に候えば、御用地の内、昼夜に限らず往来仕り候事も不自由に罷成り、勿論田畑の助け等にも難儀仕り候-70-う様に相成り候うて総百姓至極迷惑罷在り候、御益の儀は何分にも御勘弁の上、二重谷村え仰せ付けなられ下し置かれ候えば、総百姓有り難き仕合わせに存じ奉り候、(以下略)