ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

右願書によれば、採藻の独占特権を与えると共に採藻支障なからしむるため、付帯の事業として魚鳥漁の独占をも特許したるもの、要するに藩庁が、潮来に対し此の特権を与えたのは、農民の状態に同情し、非常なる好意を以て過したる結果なることを忘れるべからず、寛政十年( 一七九八)村方より鳥猟を請負たる者、遂に運上金の内金五両を滞納す、藩吏武田伴右衛門出張、該滞納は村役人等の不注意に基づくものとして、この弁償を申し付けられる、其の事、同年村改革御用止中に左の如く記載在り、-見一、金五両是れは浪逆浦鳥猟運上金の内収納未熟分わけ金壱両三分年寄七人但し人に付金壱分つつ是は月並勘定調未熟に付き弁金申し付け候分金壱両壱分組頭五人但し右同断是は右同断金弐両庄屋人是は今月中蛇度差し出し申す可き分右の通り申し付け候事武田伴右衛門前記覚書中、月並勘定調未熟云々と記載し在り、これは村方の収支決算は毎月庄屋、組頭等にて取り調べ、其の精算済の分を翌月寛政十年二月備考十日年寄衆、集合の上、庄屋より前月分の収支勘定調を提出し之れの認定を受ける慣例なりしを、寛政九年は非常なる出水にて、田畑水腐となり、よって翌十年は村方改革を行い、役所の出費、専ら節約を計りし年柄故に、何事も不手廻りとなり結局月並勘定も立てず、鳥猟運上金の儀も請負猟師が滞納し居り、遂に其の猟師が夜逃げをなし、運上金取立て不能となり、ついに斯の如く合い成りたる次第云々、加藤州村名主治左衛問より、文政三年( 一八二O)八月浪逆浦水行の件に付き訴え出た願書の一節浪逆浦は古来より二重谷村支配にて一茎の藻草、寸魚、小鳥をも他村の者には一切取らせず、近年は加藤州村後開州等に下りたる鳥に発砲しても彼此苦情申し、他村の百姓等が、農事丹精の余暇、己の食料ぜんに致す為、少数の茎を置いても番人は此処は潮来地内であると言って、其の漁業道具を没収する等、我が侭の振舞のみ多く、然るに二重谷村にては、御定法の網代の外に、勝手に漁場を設け云々あじろすだてかばまきおだ従来、浪逆浦にて公許の漁法は、引き網、網代、費立、蒲巻、於染ぜんはり漁、である笠や針等は潮来村民に限り何人にても勝手なり、今各漁法-71-の種類により定置の漁場を掲ぐれば左の如し、一、引き網一定の場所を制限せず、然れども河底に障害物の有る処は網を使用すること能はさるを以て、引き網の場所は自然に一定していた、又、網を曳く時期は敢えて指定し居らされども多くは旧十月より翠年三月頃迄を期とせり、一、網代公許の場所は左の如し、太右衛門網代これは窪谷太右衛門の創始したもので、其の名が付いた、字十五番の尻より、北方徳島方面に向かいて建てたもの、