ブックタイトル潮来の昔話と伝説

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概要

潮来の昔話と伝説

り、出立、お械を受け、悪疫退散の祈祷をし、一日も早い疫病の沈静を念じつつ、帰村すると、その翌日より、あれほど猛威を振った疫病が、次第に納まり、病に苦しんでいた人々も、元の元気な姿に立戻ったので、村民一同、漸く安堵の胸をなでおろし、今更のように、潮来の牛頭天王れいけんおそ社の霊験のあらたかなることを虞れ畏み、お礼の印として、享和三年(一八O三年)美亥六月七日(当時は、旧暦の六月七、八、九、「祇園神曾」の三日間が、牛頭天王社の祇園祭礼であった) という北総、津の宮の儒学者、窪木清淵先生の揮牽になる大臓を奉仕して、神恩を長み、祇園祭には、牛頭天王社へ参詣させて頂き、有難い御神霊に接し、何時何時までも、御神徳を仰ぎ奉り、感謝させて頂きます。という気持ちを表した。以来干潟地方の村有志は、年々の祇園祭礼には、欠かさずに、餅を揚き、土地の産物を御神前への神僕物として、携え来て、三日三晩、仮宮にお箆りをして、帰村したということである〆”‘、、,.'-の行事は、戦前まで欠かさず行われていたが、現在は、行われていない)口干潟地方といわれているのは、現在千葉県に、干潟町という地名が、現存しているので、この地方の祖先の人々の話であると思われる口この話が、次々と子孫に伝承されて受継がれ、戦前まで、長い間、この行事が続いたD(潮来)-9-