ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

律令時代の社会第4章に記している。倭名紗云、井上、按ズルニ、今ノ井上村ナリ、是郷ハ回行方郷ノ内ナルヲ、和銅以後二分置セラレシナリ:::風土記云、倭武天皇巡ニ狩天下」征二平海北↓当レ是経ニ過此国一即頓ニ幸槻野之清泉(臨レ水洗レ手、以ν玉落レ井、今存二行方里之中↓謂ニ玉清井-トアリ、今ハ玉清井ト云フ名ハ亡ピタレド、井上村一一石根明神ト云ヘル社アリテ、其社地ノ下ナル水田ノ中ニ、三四尺マハリノ石玉穴アリ、其中ヨリ清水涌キ出ヅ、尤清冷-一テ炎皐-一モ決シテ澗ル、コトナシト云フ、スベテ行方、井上ノ辺ニ、是外ニハカクノ知キ清泉アラザレパ、思フニ古ノ玉清井ト覚ュ、サテ、和銅ノ後、行方郡ヲ分テ、コノ郷ヲ置カル、時ニ、シモ、コノ井モ随テ、井上-一属シ、井上ヲ以テ名トセラレコノ井ノ傍ナル里ナル故ト見エタリ:::地図ニヨリテ推考スルニ、是郷東ハ余戸里ノ堺-一至リ、西ハ行方海-一涯リ、南ハ行方郷-一接シ、北ハ提賀郷ニ錯シテ、井上、藤井、出沼、西連寺、四村千九百余石ノ地、皆古ノ井上郷ナリ、中世分レテ井上、藤井両郷トナノレ、『大日本地名辞書』は、旧玉川村とする。いずれにしても、玉清井と井上を結びつけている。『常陸国郡郷考』も「風土記の後新に郷を立るに其地を割き、其井に就て郷名とはなりたるなるべし」としている。v)の郷は霞ヶ浦東岸に位置し、現在の玉造町南部に比定される。高家郷『常陸国風土記』にはみえないが、正倉院の調庸関係銘文に、「常陸国行方郡高家郷戸主大伴部荒嶋白曝調布壱端」と墨書されている。『新編常陸国誌』はコ両家」をタケベとよみ、次のように記している。和名紗云、高家、按ズルニ今ノ内宿、両宿等ノ村里、其地ナリ、:1ノ地旧名ぺ武家文武井戸一作ル、武家ハ即高家ナリ、131ヨノ郷風土記