ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

原始・古代EJL\CJ,.わみつ"糸を紡ぐ様子~整目白」V58ヨ浜ノ台遺跡l号住居跡遺物出土状況大賀立野遺跡出土紡錘車切石が芯材として埋め込まれているものや、土器や瓦を貼り付けて袖の152補強としているものなどがある。時どきカマドの焚き口や焼成部から、火熱を受けていない杯などが逆さに被せられた状態でみつかることがある。土器を逆さに据えるというカマド内に逆さに据えることによっはまだいてカマドとしての機能停止を意味したものと考えられる。三和町浜ノ台ことはその機能の停止をあらわし、遺跡の場合は、カマドの袖や天井を構築した粘土の残津が全く確認されカマドの廃棄と紡錘車の使用法ず、明らかにカマドが廃棄されるときにきれいに整理されたことを示す資料となっている。さらにカマドの焼成部には高台を打ち欠いた土師器高台付杯が伏せた状態で置かれており、その体部や底部には「香華」や「盃」の字が墨書きされている。}のような状況からカマドを廃棄するにあたり、何等かの行為(例えば竃神に対する儀礼)がなされたことが考えられ、さらに、高台付町内に書かれている墨書は、書かれている文字の内容から器の名称に関したものではないかと考えることができる。カマドを使って調理された食物を盛り付ける容器が土器である。奈第1 -63図良・平安時代における食事の器としては、土器の他にも金属器、漆器、木器、陶器、輸入陶磁器などがみられる。しかし、県内で集落の発掘調査を行うと、これらの容器のうち土器のみが出土する例が一般的である。住居によってはかなり大量の土器が残されている例もみられ、その住居の時代や時期を決めるときに、}れらの土器が有効な資料となってくる。土器には赤褐色で縄文土器から伝統的に行われている野焼きによって焼成された「土師器」と、灰色で古墳時代の五世紀ごろに朝鮮半島から制作技術が伝わった「須恵器」とがある。須恵器は土師器とは異なり、害窯という窯で一OOO度以上の高温で焼かれており、非常に堅徹で土師器などに比ぺて透水性が低いものである。古墳時代の須恵器は主に古