ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
原始・古代E紀世11キ己世10紀世9市己世8ひ白ー守由民昌一=ー←司ヲ圃圃.....・・・~写ーha・.也・凶の住居に比べて住居跡の規模が縮小することである。厨台93号住居跡厨台32号住居跡大賀立野13号住居跡大賀立野38号住居跡さらに各時期における住居跡は、次のように変遷していくことが考えられる。奈良時代の竪穴住居は、正方形に近い平面形で、床面には屋根をささえる柱穴が四か所あり、出入り口施設と考えられる穴がカマドの反対側にみられる。また壁際に浅い溝が巡らされている例も多く、溝内に板を154立てて壁を設けたことが考えられる。住居の規模は大きく、掘り込みも深く、北壁の中央部付近にカマドが付設される例が多くみられる。のような家屋構造は古墳時代後期の竪穴住居の家屋構造と非常に類似性があり、古墳時代後期にほぼ完成された竪穴住居の構造がそのまま奈良時奈良・平安時代の竪穴住居跡変遷図代にも継続されていくことが考えられる。大賀立野遺跡の第三八号住居跡がこの時期の竪穴住居である。平安時代の九世紀代の竪穴住居は、平面形では依然として正方形のものが多いが、規模は奈良時代に比ぺ縮小していく傾向がみられる。住穴は奈良時代のように四か所みつかる例が少なくなり一か所からこか所のものが多くみられるようになる。また、出入り口施設と考えられる穴以外は、柱穴が全く見付からない住居もみられるようになる。大賀立野遺跡の第一三号住居跡がこの時期の竪穴住居である。第1 -65図一O世紀代の竪穴住居は、平面形では今まで正方形が主体であったものから、長方形を主体としたものへと変化がみられるようになる。柱穴については、柱穴としての掘り込みが確認できる住居のほうがむしろ希になり、ほとんど確認されない例が多くなっている。住居の規模は、今までは同時期と考えられる住居の中にも大小の規模の差がみられたものカZこの時期になるとほぼどの住居も一定の大きさに統一されていくようになる。カマドが付設される位置にも変化がみられ、今まではほとんどの住居が北壁に付設されていたのに対して、長方形の平面形の短軸側に付設されるようになっていく。長方形の平面形を示す住居は、東西に長軸をもっ例が多いため、カマドが付設される場所は今までの北壁に変わって東壁にということになる。大賀立野遺跡第三二号住居跡がこの時期の竪穴住居である。