ブックタイトル潮来町史

ページ
171/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている171ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

高く広くて、東と西は海に臨み、峰や谷と、邑や里とが、互いに入り混じっている。山にある木と野にある草とが、自然に垣のよたにきしうに生い繁って庭とし、澗の流れと崖にある泉は、まるで朝夕の汲み水とせよといわんばかりに湧き流れている。峰の頭に家を構まもたにえるならば、松と竹とが垣となり外から衛ってくれる。府知の中腹ったかずらきしに井戸を掘るならば、帯鮮や躍がその壁をおおって隠してくれる。春にその村を通ると、さまざまの草には花が咲きにおい、秋にその路を行けば、ありとあらゆる木々は紅葉して錦を織りなしている。(2)香島の神の社の南に郡街がある。北には沼尾の池がある。以前、郡街の置かれた所である。橘がたくさん植えられており、その果(3)実は美味である郡衝の東二、三里のところに高松の浜がある。大海の波によって流し寄せられてきた砂と貝とが、積もり積もって高い丘をなしており、そこには自然に松林ができている。その林には椎や柴も入り混じっていて、今ではまるで山野のようである。高松の浜か常陸国風土記と行方郡ら南、軽野の里から若松の浜に至る聞の三O里あまりは、ずっとまつほどねあるまつほど松山が続いている。伏苓と伏神を産し、毎年それらを掘る。さろなとて若松の浦は、常陸・下総両国の国境である。安是の湖に産する砂鉄は、剣に造るとたいそうよく切れる。しかしながら、そこは香島の神の神域にあたるので、だれでもたやすくそこに入って松を伐ったり、砂鉄を掘ったりすることはできない。(4)郡街の南二O里のところに浜の里がある。その東の松山の中に、第5章一つの大きな沼がある。寒田という。沼の周囲は四、五里ほどである。之万・軽野両里の田はこの沼で少しく潤っている。軽野の里の南に童子女の松原がある。久慈郡山田の里がある。開墾が進んでおり、多くの新墾田がある。それにちなんで里の名にしている。そこを流れている清らかな河は、北の山に源を発し、郡街近くその南を経て、久慈河に合流していふちいわとる。その河の揮を石門という。そこに繁っている樹々は林となり、その上をおおっている。かぴれ山東にある大きな山を、賀枇礼の高峰という。ひ日お男命と申し上げる天つ神がおいでになる。またこのこ名にをは速早名経ふを和わ立E気け速2(3)命と申し上げる。もと天より降っておいでになり、やまたの八俣になっているところの上においでになっていた。みつきそこから東北二里に密筑の里がある。松沢の松の木高市というところがある。村の中に清らかな泉があり、土地の人びとは大井といっている。その水は夏は冷たく冬は温かい。湧き流れて川となっている。夏あちこちの郷里から飲食物を持参して男も女もここに集まり、飲食し遊んで憩いの時をすごすのである。密あわびうに筑の里の東と南とは海辺に臨んでいる。石決明、聴甲車、魚、貝の暑いころになると、のたぐいがすこぶる多い。また西と北とは山野につらなっている。かや椎、様、権、栗が生えていて、鹿や猪がすんでいる。多珂郡道Z円!ITのち里飽2固たの村治まある古老が伝えてこういっている。倭)噌EA(武天皇が東国の辺境の地を巡幸しようとして、この野で仮の宿をおとりになった時、ある人が申し上げて、}の野の周辺一帯には鹿が群がりいて、その数は数えきれぬほどです。その鹿のそびえ立った角は枯れ芦の原のようであり、吹き出す息は159まるで朝霧