ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

謡と民俗」『日本民俗学会報』三八号)。香島郡山の香島の神の社の周囲にある山林は自然林のように思われる。ただ「山と木と野の草」とあって樹種は不明である。しかし「峰の頭に家を構えるならば、松と竹とが恒一となり外から衛ってくれる」とあるので、松と竹が交っていたことになる。ところがこの松と竹は自生種ではなくて、神域にふさわしい樹木として植えたという説がある(沖浦和光『竹の民俗誌』)。だが神域の樹叢の中に、しかも「峰の頭」にわざわぢ松と竹を植樹するであろうか。香島郡凶の浜の里の東の松山の中に、寒田という大きな沼があり、という松山と松原の木は自然林か植樹か明はみこつらかでない。しかし、童子女の松原の「奈美松」と「古津松」は、このかがい地の嬢歌会での神の依代となった神樹と思われるので、自然林が残ったの南に童子女の松原がある、ものであろう。久慈郡ωの山田川では「繁っている樹は林となり、その上をおおって常陸国風土記と行方郡第5章いる。浄らかな泉は淵となって、その下をさらさらと流れている。繁れきぬがさまるで蓋のように風にひるがえり、川底の白る青葉は陽光をさえぎり、砂は川波をもてあそび、まるで敷物のようである」とみえるので自然林である。しかし、樹種が明らかでない。おそらく、川ぺりのため伐採をまぬがれたのであろう。久慈郡山の立速日男命が降ったという松沢の松の樹は、神の依代で「松沢」とあるように水源地にあった聖樹であろう。自然林に生えていそたが、周囲が開発されて水田となり残されたものと思われる。多珂郡山の飽田の村の野も、群れた鹿の角が枯れ芦の原のようで、吹き出す息は朝霧が立ったようだとあるので、自然林の原野を思わせるが樹種は明らかでない。行方郡聞には、鴨野は土壌がやせていて草木は生えないが、その北には様、柴、鶏頭樹などの木があちこちに生い茂っていて、自然に山林となっている。またそこには高向大夫のときに築造された析の池があり、北に香取の神の子神の社がある。社のそばの山野は土地が肥えていて、草木が密生している、とある。したがって、神社の周囲にも様、柴など椎井の池〔玉造町〕の雑木の自然林があったことになる。行方郡凶には、提賀の里の北に香島の神の子神の社がある。社の周囲の山野は土が肥えていて、生えている草木は椎・栗・竹・茅のたぐいがたくさん生えているとあり、神社の周囲に雑木や栗・竹・茅などの自然第1 -67図林がみられる。行方郡問には、麻生の里をとりまく山があり、椎、栗、槻、機などのさる樹木が生え、猪や喉がすんでいるとみえる。ここには神社の記事はないのりしめのこの野から勅馬を産し朝廷に献上したとあるので、標野であった可治宝能性がある。161