ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

常陸国風土記と行方郡第5章『常陸国風土記』にみえる自然林には、様、柴、鶏頭樹(行方郡鴨野の北)、椎、栗、竹、茅(行方郡提賀の里の北)、椎、栗、槻、榛(行方郡麻生の里)、榎、槻、椿、椎、竹、箭、麦門冬(行方郡香澄の里の東)、様、杵、栗、柴(行方郡当自然林と薪麻の里の野)、様、作、検、竹(行方郡波須武の野の北)、松、椎、柴(香島郡高松の浜)、椎、様、権、栗(久慈郡密筑の里の西北)など雑木や照葉樹林が山野をなして繁茂していたのである。その自然林には、猪、鹿、猿、狼が多くすんでいたのである。とすると猪、鹿、狼などが生息しているところには、自然林があったことになる。浮島(明治14年)こむら『常陸国風土記』久慈郡の条には、河内の里はもと古古の口巴と名づけられていた。「俗の説に、猿の声をいいて古古となす」とみえ、「いわゆみはもとる久慈河の濫腸は、猿声より出ず」とあるので、猿のすんでいた河内の里の山奥にも自然林があったことになる。また谷会山の地にある岸壁は、いわあUさる形がまるで磐のようであり、その色は黄色く坑が掘ってある。禰喉が集第1 -68図まってきて、}こにいつも宿り食っているとあるので、谷会山の岸壁のあたりにも自然林が残っていたことになる。}れらの自然林の記事が香取の神子の社、香つぎに問題となるのは、-b柄ツ島の神子の社、社、香島の神山というように、神社の境内や周囲にみられることである。または清泉、池、旧居、標野、山口などの聖域に巨樹や林があったことである。自然林は古代には、」れらのほかに山奥や断崖の周辺にしか残っていなかったのではないだろうか。古代の農民は、そうたやすく薪を手に入れることができなかったようである。『日本霊異記』には、里人が山にはいって薪を拾う話がみえる。あまあてはた下巻第二九には、紀伊国海部郡と安諦郡とを結ぶ山道で、秦の里の小子たわむれに木を刻んで仏像とした話がみえる。中巻163が薪をとりにきて、