ブックタイトル潮来町史

ページ
178/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている178ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

原始・古代夜万第二節の神E『常陸国風土記』行方郡の条に、有名な夜万の神の夜刀の神の説話話がみえる。いわれたまほおおやしま古老がいうのには、石村の玉穂の宮に大八洲を。はずのうじまたちお治めになられた天皇(継体天皇)の世に、箭括氏麻多智という人が、-,、。、u wJJ}の人が郡街の西にある谷を占有して、ここを開墾して新たに田をひらいた。}のとき、夜万の神が群れをなし、仲間を引き連れて、全部がここにやってきて、あれこれとさまざまな妨害をし、田の耕作をさせなかった。土地の人びとのいうことには、蛇のことを夜万の神という。からだは蛇で、頭に角がある。蛇のその形は、室ロを受けないように引き連れて逃げて行くとき、蛇のことを見る人夜万の神〔玉造町〕第1 -69図があれば、その人の一家一門は破滅し、子孫も断絶してしまう。ぉ166およそ、この蛇は郡街のそばの野原に非常にたくさんすんでいる、二、}。1〈、hveaさて麻多智はたいそう怒り、甲鎧に身を固め、伎を手に持ち、夜刀の神を打ち殺し追いはらった。それから山の登り口にやってきて、つえ標識の大きな杖を境界の堀に立てて、夜万の神に「ここから上は神の土地とすることを許そう。Z-AV〉、J'hAHNご}から下は人間の田とする。今後、私は神を杷る者となって、永く敬い祭ってやろう。たたうか崇らないでくれ、また恨まないでくれ」といって、だからどご}に社を設け、初めて祭った。また耕回一O町あまりを開そういうわけで、墾し、麻多智の子孫が受け継いで祭りを行い、今に至るまで絶えることなく続いている。江にわUがらとよさきその後、難波の長柄の豊前の大宮に天の下をお治めになられた天皇みぷのむらじまろ(孝徳天皇)の世になって、壬生連麿が初めてその谷を占有して、池の堤を築造させた。そのとき、夜万の神が池のほとりの椎の木に昇そこで麿が大声をだして叫んで、「この池の修理をするのは、要するに人びとを活かすり集まって、いつまでたっても去らなかった。ためなのだ。それなのに、いったいどこのどういう神が天皇の教化にしたがわないのか」といって、すぐさま、労役にあたっていた農民に命じて、「目に見えるかぎりのすべての物は、魚でも虫でも、恐れることはないから、打ち殺せ」といった。そのことばが終わるゃいなや、たちまちに神蛇は避けて隠れてしまった。その池は、今は椎井と名づけている。池のそばには椎の木があって、そこには清泉が湧きでているので、それにちなんで池の名としているのである。ここは、陸路で香島に向う駅馬の通る道になっている。