ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第5章常陸国風土記と行方郡第1 -70図股周時代の青銅器にみえる蛇cr考古学雑誌J46-2林巳奈夫氏論文より)第1 -71図被物をつけた人物埴輪とを表現している(大野雲外三角「形の被物ある埴輪土偶に」就『東て京人類学体が出土している。三角形の被物は白色に塗られており、白布であるこ豆羅を垂れた人物と、同じく被物をつけて長い費を垂らした人物培輪二小字棒山(茨城県行方郡潮来町大賀)の古墳か三ら角形の被かぶりものみ物をつけて美のぼる。明治四十一年(一O九八)ごろ、常陸国行方郡大生原村大字大賀ずらひげ葬討に際し三角形の白布を頭部につける習俗は、大化改新以前にさかることもあり紙冠ともよばれた。角形の白布をつけている。頭部につけた三角形の白布は、白い紙を用いたいまつの火を持ち、近親知己の者が葬列に加わり、近親者は頭部に三鎌倉時代初期の『北野天神縁起』にみえる葬式では、葬列の先頭の者がる。古墳時代に限らず、現在に至るまで葬式に鱗文が用いられている。画をはじめ各地出土の多くの埴はにわ輪にも、鱗文や連続鱗文がつけられていびついた蛇身を象徴しているため、葬式と関係が深い。古墳や横穴の壁が明らかに蛇身をかたどったことを示している。鱗文は死者の霊魂と結169