ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

原始・古代E朝の余炎がくすぶっていたことは確かである。172『万葉集』によると、麻績王は伊勢国に流されたこと配所の謎になっているのである。麻績王が伊勢国の伊良虞の島に流されたとき、人が悲しみ傷んで作ったという打ち麻を麻続王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈りますの歌は、麻績王に同情的である。「麻続王は海人であるのか、(海人でないのに)いらごの島の藻を刈っていらっしゃることよ」という意味である。麻績王はこの歌を聞き、悲しんで和したという、北浦のあたりうっせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈をすの歌は「はかない命を惜しんで、浪にぬれて、いらごの島の藻を刈って食べています」という意味で、実感がこもり哀傷の情が切実に歌われている(沢潟久孝『万葉集注釈』巻第一)。また前の歌が「打ち麻を麻続王」第1 -72図と歌いだされているのは、王の生活を眼前にみている土地の誰かの作というよりは、口碑に伝わる民謡の趣があるともいわれる。}れらの歌について、つぎのような注をところで、『万葉集』には、している。右の歌は『日本書紀』を考えると、天武天皇の四年乙亥の年の夏四月十八日、三位麻続王が罪あって因幡に流され、一人の子は伊豆の島に流され、一人の子は血鹿の島に流されたとある。)こに、伊勢の国の伊良虞の島に流されたとあるのは、あるいは、後世の人が歌の言葉によって誤り記したのであろうか。と述ぺているのである。そうすると、『日本書紀』に麻績王を「因播」に流した、とあるのは因幡国(鳥取県鳥取市、岩美郡、八頭郡、気高郡の地)を指すことになる。