ブックタイトル潮来町史

ページ
188/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている188ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

原始・古代第四節建借間命と杵島唱曲H『常陸国風土記』行方郡の条には、つぎのような物建借間命の説話語が記されている。古老がいうのには、崇神天皇の世に、東国の辺境にいる狂暴な賊どもを平定させるために、那賀の国造の初祖である建借間命を遣わした。建借間命は軍士を率いて、行くさきざきのずる賢い賊どもを討ち平げて、安婆の島に仮の宿をとった。そこでけむり海上はるか東方の浦のほうをながめたところ、畑がみえたので、軍士たちは互いにあそこには人がいるのではないかと疑った。そのとあめひとき、建借間命は、天を仰ぎ神に祈誓して、「もし天人(大和朝廷がたおおこちらに来て私の上を覆うようにたの人)たちの畑であるならばなびけ。もし狂暴な賊どもの畑ならば、むこうに行って海の上にたなびけ」といったところ、さっと海のほうをさして流れその畑は、ていった。そこで凶賊のいることが自然にわかった。建借間命はただちにつきしたがう軍衆に命じて、朝早く食事をとらせ、戦いの準備をととのえて海を渡った。この説話をみると、建借間命は祭杷的能力に優れた人物のようである。安婆の島で海上はるかにみえる畑に対して、誓約の占いをしているのは重要である。安婆の島は信太郡の浮島(稲敷郡桜川村)の別名ではないかといわれている。浮島は榎浦の流海、信太の流海など古代海上交通路に浮かぶ孤島で、海上守護の神が杷られていたのである。そこに建借間命が泊り、海をのぞんで誓約をしているのは、那賀国造の初祖建借間命に水を支配する霊力があったことを物語る。しらぎじんぐおきながたらしひめかし『日本書紀』には、新羅を討とうとした神功皇后(息長帯比売)は、檀ひのうら日浦(福岡市香椎)で髪を解き、海をのぞみ「吾れ、神祇の教えをうけ、皇祖の霊をたより、海を渡ってみずから西を征とうとしている。頭を海au,。auもし験があるなら、髪が分かれてふたつになれ」といって、176水ですすぎ、すすぐと髪がおのずから分かれた、とあり、息長帯比売が水を支配する霊力を有していたことが知られる(志田誇一「息長氏」『明日香風』第六巻二号)。建借間命にも、同じような性格がみられるのである。『常陸国風土記』行方郡の条には、さらに続けて杵島唱曲への疑問つぎのように記している。〈ずやさかしゃっ〈しここに国栖で名を夜尺斯・夜筑斯という二人とりでみずからその凶賊の首領となって、{八を掘り壁をこのものがおり、しらえて、いつもそこに住んでいた。そして建借間命の軍勢の動きをみては、潜伏しながら守備を固め抵抗した。そこで建借間命は兵かえを放って追いかけさせたところ、賊どもはすっかり逃げ還って、壁bz-を固く閉じて守りをかためてしまった。建借間命は大いに計略をめ内\pりIV、まず勇猛な兵士たちを選んで、山のかげになった所に伏せ隠し、凶賊を討滅するための武器を造り備え、それらをなぎさにいいかだきぬがさかめしく装い飾り、舟を連らね、械を組んだ。蓋は天上の雲のごとはたあめとりごとくへんぽんと飛び、腔は虹のごとく空になびいた。天の鳥琴、天のとりぷえきしま鳥笛は、波の寄せるにしたがい、潮の流れに応じて高鳴り、杵島ぶうたりの歌を唱って、七日七夜歌い、遊び楽しんだ。そのとき、凶賊どもは盛大な歌舞の音を耳にして、一家の男も女もすっかり穴から出てきて、浜いっぱいに群がって、大喜びしてさわぎ立てた。そこで建借間命は、騎兵に命じて凶賊の壁をすっかり閉じさせ、その後、