ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

凶賊の背後から襲撃して、一人残らず捕えて全部いっしょに、あという聞に焼き殺して滅した。このとき、「痛く殺す」といった地いた〈ふつを、今、伊多久の郷といい、「臨に斬る」といった地を、今、布都はきやすきり奈の村といい、「安く殺る」といった地を、今、安伐の里といい、よさえさきむら「吉く殺く」といった地を、今、吉前の邑というのである。この文章は秋本吉郎校注『風土記』(日本古典文学大系、岩波書庖)の『常ここにみえる「杵島唱曲」は、陸国風土記』を口語訳したものである。肥前国杵島郡(佐賀県杵島郡)が発祥地なので、肥前国と常陸国行方郡の関係や建借間命の結びつきを説く者が多い。なかには有明海沿岸の地に集中している装飾古墳と茨城県内の装飾古墳を、杵島唱曲と結びつけて考える研究者が多い。要するに常陸と九州は黒潮という海上のル1トによって、装飾古墳も杵島唱曲も伝流したというのである。常陸国風土記と行方郡成て2222hf主主義え之'aftトえそ島秀えミ23ははばえ州問峰村弓,v r』司?たえ5・争完fH明域安耐久者伸一川水7 - Z川男女ノ完工一良心か末的、‘崎教4Mh乏何m'令ふ、治三刈侵1伏勢繋主回‘律令一時けがヘ内戸時、J角川代知川ム'aAT一切内仲人しぺゆバ所内h'ddLI拘NJ伺tι守合之、で快投向第5章しかし、『常陸国風土記』の写本を検討してみると、「杵島唱曲」などという字句はないのである。延宝五年(一六七七)二月に加賀前田家本を写した彰考館本は、昭和二十年八月に戦災で焼失したが、文久二年(一かんまさとも八六二)八月に彰考館本を筆写した菅政友本をみると、「飛雲蓋、張虹とある。腔、天之鳥琴、天之鳥笛、随波逐湖、嶋杵唱曲、七日七夜、遊楽歌舞」}のうち「湖」は「潮」の誤写と思われ、「嶋」は「鳴」の誤写と考えられる。そこで、『新編常陸国誌』は「飛ニ雲蓋一張二虹腔」天之さお鳥琴、天之鳥笛、随ν波逐レ潮、鳴ν杵唱ν曲、七日七夜、遊楽歌舞」としるている(巻三郷里)。『茨城県史料』古代編も}の文章にしたがっていそうすると、「雲蓋を飛ばし、虹涯を張り、天之鳥琴、天之鳥笛、波に随って潮を逐い、杵を鳴らして曲を唱・三七日七夜、遊び楽ぎ歌い舞いき」とよむことができる。「鳴杵唱曲」を『新編常陸さおSしきね国誌』は、「杵を鳴らし曲を唱う」としているが、「杵を『常陸国風土記.IC菅政友本〉鳴らし曲を唱う」とよむこともできる。「杵」は『新撰字鏡』に「昌与反枠也、支禰、香也」とある。「枠也」とあるように、杵は武器としても用いられたこ」こにとが知られるのである。「鳴レ杵唱ν曲」を西野宣明が『訂正常陸国風土記』で、「杵嶋唱曲」として以来、通説のようになっている。西第1 -73図野宣明校訂本は、文脈の文章構成を無視したもので問題がある。なぜ常陸国で肥前国の杵嶋唱曲が突然でてくるのか不自然であるという指摘もある(橋本雅之「常陸国風土記建借間命説話の杵島唱曲をめぐって」『万葉』第号177