ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

原始・古代E所宝塔願文』には、の功徳によって護国安民の大願を達成しようとするものであった。『六仏法に住持して国家を鎮護せん。仰ぎ願わくは、一切諸仏、般若菩ゃしゃけんぞく薩、金剛天等、八部護法、善神夜文、大小比叡、王子巻属、天神地紙、八大名神、七千夜文、心を同じくして大日本国を覆護し、陰陽節に応じ、風雨時に応じ、五穀成熟し、万姓安楽にして仏法を紹隆つねはし、有情を利益し、未来際を尽くして、恒に仏事を作さんことを。190とある。したがって、諸仏、諸神一切挙げて大日本国を鎮護するのが、日光男体山出土念、怒型三鈷杵(左)と鏡cr日光市史」より)六所宝塔の趣旨であった。そこで最澄は東北地方を安んずるため、東国じゅんしゃ〈に巡錫して安東、安北の宝塔を上野、下野に建てたのである。本来これらの宝塔は、常陸や陸奥・出羽に置かれるべきであった。ところが、常陸や陸奥には法相宗の学僧徳一が強力な教線を張っていたので、最澄はその抵抗にあったのだといわれる(高橋富雄『天台寺』)。『叡山大師伝』によれば、弘仁六年(八一五)八月、和気氏の主催で開かれた大安寺塔中院の法会に招かれた最澄は、諸寺の強識博達の大徳らむじゅんさいせつと法論を試み、「三乗の鉾楯、是に於て擢折し、一乗の法燈、是に於てしれつこうえん織烈なり」という激論を展開した。その講涯が終わると、「本願に催されて、東国に向かい」上野国浄土院と下野国大慈院に、各一級の宝塔を起こし、二OOO部一万六OOO巻の法華大乗経を写して、塔別に八O第1 -77図そして塔下において毎日、法華経および金光明、仁王等の大乗経を一日も欠かさず長講した。「所化の輩は百千万を通え、げんこうしゃ〈しょ見聞の道俗歓喜せざるはなし」という盛況であった。『元亨釈書』巻第みどの一の最澄伝にも、「東州経塔会。上野緑野寺、場に預かる者九万人、下むか野大慈寺五万人、東民化に構うこと斯くの如し。過ぐる所の諸州之に類00巻を安置した。す」とある。六所宝塔が「安東」「安北」のために、上野・下野に建てられたことは、これらの地がかつて東国経営の拠点であり、さらに奈良時代から平安時代初期にかけては、常陸国とともに蝦夷征討の基地として鎮護国家の成否がかかっていたからである。