ブックタイトル潮来町史

ページ
205/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている205ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

ことを知らなかった。安恵が講師として講を聞くようになって、国の人はみな法相宗をすてて天台宗に帰するようになったと『元亨釈書』巻第二に記されている。だから最澄の弟子最仙も、常陸講師として天台宗を大いにひろめたことであろう。ただし、常州講師となった最仙が、延暦元年(七八二)に西蓮寺を建て教法を弘めたという伝えは疑わしい。最澄が唐より帰朝し、天台宗をはじめたのは延暦二十四年(八O五)であり、朝廷に表を提出した天台法華宗の開立を乞うて勅許されたのは、廷暦二十五年(八O六)なので、天台宗の僧としての活躍はそれ以後となる。延暦年中草創の伝えをもっ水戸の吉田山神宮寺薬王院の開山も、最仙の布教と関係があろう。蝦夷征討をめぐって第6章193