ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
世も寄り、長勝寺楼門を描いている。その絵は『四州真景』に所収され、「海雲山在潮来北里」と題して楼門のスケッチが掲載されている。準山中の長勝寺訪問は、銅鐘銘に契機される所が大きかったようである。楼門Eのスケッチの余白に次の如き記録がみえている。海雲山、寺名を失す。古鐘有り。里人宮本重村の弟尚一郎、揚して相贈る。予総に滋び、徴すべきは集めて帖と成す。斯の鐘の揚本も其の中に列す。屋代輪池翁に貸し、伝へて写山翁に転じ、還らずして終に失ふ。この記録によると、潮来の人宮本重村の弟の尚一郎(茶村)は、長勝寺鐘銘を拓本にとって寧山へ贈っていることが分かる。峯山は地方に赴いた際、興味深いものを収集して資料としてまとめていたがこの長勝寺鐘銘の拓本も、その資料帖に収録して大事に保存していたのである。しかし、その後、寧山は屋代輪池翁に貸すと、輪池翁からさらに写山翁(谷文晃)へと転貸されるに至り、とうとう返却されず鐘銘の拓本を失なってしまったのである。銅鐘銘の拓本の行方不明に関して畢山は、カ〉なり惜しんでいるが、華山といえば学問にも造詣深く、当時の代表的知識人の一人とされ、幕末期の政治運動に影響を与えた人物である。}のような人物に注目されたことは、当時の知識人層に鐘銘のもつ価値が、認められつつあったことを物語るものであろう。そして安政二年(一八五五)赤松宗旦は地誌『利根川図志』を刊行し、利根川流域の地理や名所、旧跡を紹介しているが、潮来の項で長勝寺の鐘銘も収録している。オもにより長勝寺の鐘銘は、知識人層ばかりでなく、広く世間に知れ渡ることになっていった。ついで長勝寺の鐘銘を掲載すると次の如くである。(第一区)常陸国海雲山長勝禅寺鐘銘井序224寺始於文治元年右大将殿時所立也治今元徳庚午百二十余載乃為鎌倉殿御願所大檀度道暁禅門以古銭末宏与貴巻等共施財新市大之住(第二区)持妙節長老請於円覚清拙皇為之銘日維古蘭若寸逗微撞愛命白河氏鰹々笥々音聞仏事大哉円通霜天月暁真機普発深禅僅仰客船夜泊上延寄算檀門茂盛(第三区)海雲臼横人天号令長勝販名今器未宏舘範速成股雷肌鯨開聾啓盲十虚廓清落景初更衆夢斉驚苦趣休停常陸蘇城下息文兵党剃堅貞青山岬畷相道通亭天徳庚午十月一白書道超秀光通円円月清原高秀定祐浄妙妙西道宝妙椿妙亀行仏妙印願生願念貞種種直道妙浄円知見妙一生阿弥五