ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
光円善妙法阿二親寂仁上心浄心随仰了心妙円俳運維那見道(第四区)大工甲斐権守助光住持伝法沙門妙節大施主下総五郎禅門道暁大檀那相模禅定門崇鑑(書下し)常陸国海霊山長勝禅寺鐘銘並びに序寺は文治元年に始まり、右大将殿の時に立つる所なり。治めて今およは元徳庚午に追んで、百二十余載なり。乃ち鎌倉殿の御願所として大檀度道暁禅門、古鐘の未だ宏ならざるを以て、貴巻等と共に財を施し、新にして之を大にす。住持妙節長老円覚の清拙皇に請ひて、鎌倉期の潮来之が銘を為さしめて日く。らんにやそ維れ古蘭若般の名を長勝とすすんていびたううつわいまおほい寸逗微撞今の器未だ宏ならずしようはんすみ震に亮氏に命じて舘範速やかに成るこうこうこうこういんらいこけい鰹々旬々として股雷肌鯨おとぶつじきろうもうひら音仏事を聞こし聾を聞き盲を啓くおほいじっこか〈せい大なるかな円通十虚廓清すそうてんあかつきらっけいしよかう霜天の月の暁落景の初更あまねひとし真機普く発し衆夢斉く驚くえんぎやうきゅうてい深く禅に僅仰すれば若趣休停すかくせんそじよう客船夜泊す常陸蘇城かみえいさんのくわへいや上は容算を延ぺ下は文兵を息む第1章ほんさっけんてい党剃堅貞人t海檀天Z雲門号臼ひ茂令に盛し横してたは相:り道f通2青亭ご山す岬1燦Afこうり天徳二年十月一日書この鐘銘に関して多くの解釈がなされているが、最近では大久保綿一氏の「長勝寺党鐘とそれを詠んだ清拙和尚」(『ふるさと潮来第6輯』)が興味深い。}の中で長勝寺鐘銘を広範囲な観点から、解釈を試みている。}の当時、禅僧による鐘銘の製作は多い。この長勝寺鐘銘を撰した清拙もいくつもあるようである。しかし、銘文が確認されるものは数少なく、現在銘文がなんらかの形で確認されるのは、僅かに六例を数えるにすぎない。長勝寺鐘以外の清拙撰文の鐘はつぎの五鐘である。東慶寺鐘、浄智寺鐘、法泉寺鐘、徳宏寺鏡、円融寺鐘である。このうち縁切寺としてほんりゅうじ有名な東慶寺鐘は、現在、静岡県韮山町内の本立寺所蔵となっている。記録によれば、幕末の砲術家江川太郎左衛門が、大砲鋳造に際して購入したら、鐘銘があり、音色もすばらしいとの理由で、江川氏の菩提寺の本立寺へ納めたとある。また、法泉寺鐘は、現在東京都麻布広尾町の阿弥陀寺の所蔵となっている。鎌倉五山で著名な浄智寺鐘は、北条高時らの寄進によるものだが、後に寺をはなれている。天文十九年(一五五O)閏五月十八日に、北条氏康によって伊豆国の走湯山東明寺へ寄進されて、。30、u w・4 Z1その後、伊豆権現社の所蔵となった(浄智寺鐙銘『神奈川県史料古代中世2』)。残念ながらこの鐘は不明である。徳宏寺、円融寺両寺の鐘も不明であるし、寺院の所在も不明である。しかし、両寺の鐘銘は、法ぜんごしゅう泉寺鐘銘ともに清拙正澄の詩文集の『禅居集』に収録されていて、その銘文は伝わっている。}の『禅居集』中の円融寺鐘銘中に「常陸海湧党利円融」とあり、225}の円融寺が常陸圏内の寺院の可能性を想起する。