ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

室町・戦国期の潮来地方第3章ところで行方普門院は、願行流血脈(「小松寺文書」『茨城県史料E』)によると「行方普門院開山中世編乗海」と記されていて、乗海を開山としていることに気づく。乗海を法流開山とするのは、法泉寺、大聖寺、普門寺などもそうであり、}の実勝方では珍しいことではないが、小松寺の「願行流血脈」では、行方普門院のみが乗海開山とあり、他の法泉寺、大聖寺などは、乗海の孫弟子にあたる昨日の所に「小田四ヵ寺ニ分ル」と記載され、法泉寺、大聖寺、普門寺などを乗海開山としていない。単なる表記上の都合によるものであろうか。小松寺の「願行流血脈」は、小松寺を中心として願行流の推移を記したものだが、当然の如く表現上普門院の山門において、小松寺の意向が反映されているであろう。そのことを念頭におくと、小松寺側からの行方普門院と法泉寺、大聖寺、普門寺に対する認識に、多少の違いがあったようにも思える。行方普門院には、乗賀中輿以前から、乗海につながる真言密教の影響が及んでいたようにも思わ第I-18図れる。このような地蔵院流実勝方の常陸南西部と北下総への展開の中で、行方普門院の前身の法相宗荘厳寺は、上戸より潮来(現在の石塔場)に移されるがこの荘厳寺の移転の背景は不明である。しかしこのような寺院の移動や再興の動きは、当地方の政治状況と無縁ではなく、寺院を取りまく在地勢力の動向に関係している。」の潮来地域を中心とした在地の勢力としては、島崎氏の存在を無視することは出来ない。潮来地域と島崎氏との係わりは、すでに海夫注文の部分で記述した如く、応安六年の海夫注文(香取文書『千葉県史料』)にみえるように、「いたくの津」「ふなかたの津」は、島崎氏の知行下に存したことが確認される。これによって島崎氏は、現在の潮来町域の南西域に勢力を有したことがわかる。そしてその後も島崎氏は、潮来地域に勢力を及ぼしていた247