ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世中第四節諸勢力の流入E結成以来二五年を経過し、機関誌の『ふるさと潮家伝系図と伝承来』も一一号を数える潮来町郷土史研究会の皆さんの、永年にわたる調査、収集の蓄積の成果である家伝系図関係資料により、近世以降の潮来の歴史を築いた人びとの、先祖についての伝承を整理して、中世の潮来地方をとりまく歴史的状況を多少なりとも解明してみよう。第一に、潮来は勿論のこと、茨城を代表する近世後期の考証学者である宮本茶村の家(宮本平右衛門)は、藤原実通の後育で、首藤氏を名乗り、相模国(神奈川県)鎌倉郡山内荘の在地領主であった。山内滝口四郎俊秀の代に下総国(千葉県)に移住し、俊頼の代に千葉氏の家臣となり、俊旨の代に香取郡に宮本村を開発し宮本姓に改め、戦国時代の末期、俊方の代に行方郡に移住し、島崎氏に仕えたと伝えられている。そして、島崎氏の滅亡後、宮本吉兵衛は板来村に土着し、後の潮来宮本家の始祖となったのである(「宮本茶村」)。}の宮本家のように、古くは下総の千葉氏の家臣であったが、戦国時代に行方郡に移住し、島崎城(牛堀町)を本拠とする島崎氏の家臣となり、やがて近世の村の開発者として潮来地方に土着した伝承を有する旧家を挙げることができる。第二に、下総の千葉氏の一族である国分氏の子孫を名乗る旧家のグループが注目される。第E担図の国分氏略系図を見てもわかるように、村田氏や関戸氏等がその代表である。鎌倉時代初期の武将で源頼朝に仕えた千葉常胤の五男国分左衛門尉胤通を初代とする国分氏は、北下総の268宮本家の墓所第I-33図