ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
香取郡大戸荘を基盤とする在地領主として勢力を有し、後に矢作城(佐原市)を本拠とする国人領主に成長するが、天正十八年(一五九O)の小田原(神奈川県)北条氏の滅亡と共に没落し、常陸の鹿島惣大行事を頼り鹿島へ逃れて来るのである。村田氏は、国分胤通の三男村田小五郎有胤を初代とし、大栄町村田を本拠とした一族である。潮来との関わりは、天正三年(一五七五)二月に民部少輔有通が、鹿島参詣の帰路浪逆浦で難にあい大洲に漂着し松を植えたことに端を発する。天正十八年の小田原落城により矢作領が鳥居元室町・戦国期の潮来地方第3章重大戸四郎1親胤時通泰忠の所領となったことと関連するのであろうか、有通の二男・孫五郎師(「村田氏系図」)。泰が大州島に土着し、仁右衛門と名乗り大州の開拓者となるのである関戸氏は、国分胤通六代の孫関戸五郎左衛門朝綱を初代とし、大戸荘内関戸村(佐原市あるいは大栄町に推定される)を本拠とした一族である。潮来との関わりは、天正五年(一五七七)に朝綱七代の孫丹波守辰兼が、に居を構えたことに端を発する。子玄蕃允辰尚を経て、島崎左衛門尉長国の姉(小里)を妻とし、島崎氏に属して潮来の弁財天山その子利右衛門下野守五郎平|頼忠胤上野介五郎頼|満頼上直頼将日国分次郎小次郎小次郎次郎O胤通土(吊道」常朝↓重常胤国分五郎一一左衛門尉一国分尼一孫次郎孫四郎又五郎弥五郎「女「朝胤朝俊胤秀l寸胤時胤一関戸五郎左京入道「朝綱朝員|賢村田小五郎五郎太郎彦五郎小五郎民部少輔五郎工伺胤l「信胤「朝通1寸盛村:・(中略):・有通」ム信一孫五郎一六郎一彦六郎て仁右衛門次郎兵衛仁右衛門市兵衛「師泰+胤幹「宗通士師泰|信定定行ム定時一七郎二彦五郎「頼亡胤幹胤丹波守玄蕃允利右衛門鑑:・(三代略)・:辰兼|辰尚l寸正友一喜右衛門「正栄国分六郎六郎太郎又六郎彦次郎彦五郎「常義l寸胤実|胤長」1胤村l寸胤幹一彦次郎一遠江入道三河守三河守三河守宮内少輔宮内少輔三河守宮内少輔工泰胤+胤氏|胤詮|忠胤|憲胤lι胤|胤盛|胤相|朝胤一六郎兵衛入道「胤任山辺耳巾氏大戸川平太T胤義ム広胤矢作六郎I行常|行泰「通品泰頼269国分氏略系図第I-34図