ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世二、欠落や年貢未納のため村から立ち退かざるを得なかった者については、吟味の上帰村を許し、耕作に専念させる。近三、無断で江戸などに出て働いている者は引き戻すべきである。W家全部が離村している場合でも、村に「持高」がある場合は年貢を取り立てるべきである。農民にとって、村は生活したくともできない状態であったといえよう。にもかかわらず年貢収納の確保のためだけに、農民を土地に縛り付けようとしても困難であった。}の点、出生率の低下に対する対策は、一歩進んで社会保障的な性格を世帯山びている。}れも水戸、麻生両藩で行われたが、麻生藩の場合は次のような対策がとられている。まず、懐胎者の届出制度がある。}れは人口減少の主な要因とされた産児制限、すなわち出生前の堕胎や出生後の「間引き」を、未然に防止しようとするものであり、ある年限養育費用が支給された。}の政策は一般的に広く行われたが、麻生藩の場合、安永か天明時代と推定されている(植田敏雄「麻生藩の人口政策(その一)」『麻生の文化』六号)。しかし、天明の大凶作で中絶したこともあってか、当初期待された効果をあげることができなかったようである。そこで藩首脳は「近年御領内人別ハ減彼是養育筋之事一一付、各存意承候様被仰付候」(「麻生日記書抜」)というように、家中に対して意見の具申を求めた。)れに応えて手賀弥太郎なる者が提出した意見があり、大略以下の内容である。一、懐胎者の届出者が実際より少なく、とくに二、三子以降生活苦のために堕胎、間引きせざるを得ないようである。従来のように出生時に一時的に養育米を給付するのではなく、第三子は七歳まで困窮の程度に応じて養育米をあたえたり、出産費に差し支える場合には手当を支給する必要がある。326二、堕胎、間引きの一因としては、男女の不倫から生ずるものもある。領民の強化も必要である。三、困窮者は出産時に謝礼ができないため、医者に見せることができない。したがって難産となることがあるので、医者や産婆は仁術を施すべきである。とくに、第一点が重要であるが、」れは早速採用され、翌寛政二年の十二月に公布された「御箇条書」には、「貧民の懐胎者から申し出があった時に、出産費用として従来通りの養育米を支給する。さらに、第三子から七歳までの問、一人扶持あるいは半扶持を困窮の程度に応じて支給する(大意)」とある。今日の「児童手当」に通じるものがあるが、」れと同時に「懐胎吟味役」として、羽生字源太を任命して事にあたらせるなど}の問題に対する藩の姿勢には並々ならぬものが感じられる。さらに手賀弥太郎の献策にあった農民教化の一環として、同年十二月に次のような内容の通達が出されている。一、「人々禽獣に異なる所ハ多々仁義を行ふ故」に堕胎や間引きを行ってはならない。凶作で中断していたが、再び手当を支給するようになったので、}れまでの罪は問わないが、今後は厳罰に処する。二、堕胎、間引きの根元は、男女の不倫不正より起こる。未婚の女子が妊娠したときに、世間体をはばかりゃむを得、ず堕胎したものが、やがて「習常となり往々人に嫁し候上にも右の病根再発し節義を失ひ:::夫婦天賊之胎児を賊しがえて母体をも傷候」となる。したがって、男女が一席に交わることのないように父母たるもの