ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
顕〆ノ廿五歳やそ女孫午八月死亡ノ四歳きてコ二男与当歳次男与五郎申九月出生次男与市とし廿五歳固定ハ村方助三郎後家くめ笠-一相成候所不縁-一付入戻五月村方与衛門方江鴛養子-一遣除候子六月〆七人内男四人女人この村の「人別帳」の特徴は数年毎に帳面を作成し、}れにそのつど書き足してゆく、という形式をとっていることである(この場合、干支で記入されて行くが、文化十三年までの書き加えが確認できる)。事情は末尾の次の記載からも窺うことができる。潮来地方の村むらと農民生活第2章右村方人別帳之儀者文化元年子年仕立候分-一御座候処年々帳組-一て出入相直し最早難用相なり候一一付仕替之儀被為仰付族構成が、したがって年齢は書き加えられた時点のままであるが、一つ一つの家どのように変化して行くのかを見るのには便利である。なお後述するように、失践して数十年行方不明であっても、「帳外」の扱い辻村の「人別帳」もを受けるまでは記載され続ける点には、注意しなければならない。またほぽ同じ形の記載方式である。一、禅宗長国寺日一那次に麻生藩領の大賀村の「人別帳」は、以下のようになっている。高七石弐斗壱升六合。コ一、同寺E那一、同寺旦那文政8年「大賀村宗門改帳」一、同寺旦那て同寺E那〆五人内外枠第IV-16図富年四十この村についても、年毎に新たに帳面を作成したわけではないようで331藤左衛門年十/\娘とみ年三十六卯十月病死孫介9P之年十次孫く年八ツ孫富次年五ツ男三人女弐人辰五郎外ニ辰正月出生年ツ七村内ニ而日雇商売仕候ある(例にあげたのは文政二年のものであるが、「卯年」の記事は同年の