ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
世天保十三年寅三月水戸殿御領常州行方郡上戸村近願人伴右衛門W親類吉衛門新庄主殿頭様御領分常州行方郡大賀村御名主作右衛門様前書村方伴右衛門願之通御聞済ニ相成候様御執成一同頼入候庄屋前嶋久五郎与頭九兵(箕輪家文書)水戸藩領上戸村(牛堀町上戸)の農民伴右衛門が、村役人の添え書きをもらい、直接相手方の名主に願い出ている。}れが許可されると、人別送り状と受取状とを、村役人同士が交換して手続きは完了する。巳上衛般的にはキリシタンではない旨、日一那寺に証明してもらう場合が多いが、少34なくともこの時期、当地域では見られない。さて前述のように大洲村の「人別帳」には、人別の出入りについての記述があるがこの文化七年(一八一O)から同十三年(一八二ハ)までの七年間の、結婚・離婚の実態について見てみよう。この七年間に、村内で結婚したものは二一例ある。「嫁」が一五例、「婿」が六例である。平均年齢は「嫁」が二一・三歳、「婿」が二四・二歳である。それぞれの相手の年齢は二五・一歳、二0・二歳である。だL、たい男性は二四i二五歳で、女性は二01一二歳程度で結婚しているといえよ当ノ。ただこの平均には加えなかったが、五五歳で二二歳の女性と結婚した例がある。}れは長年、兄の家に同居していたのがようやく分家できることになり、晴れて結婚できたというわけである。ともあれ次三男以下の分家は容易なことではなく、とはいえ同居したままでは結婚もままならない、というこの時代を象徴しているかのようである。次に結婚相手の出身地、すなわち「通婚圏」について見てみよう。離婚して実家に戻った例なども加えて交流の頻度を調べると、最も多いの「人別帳」にみる帳外は延方村で七例、次に潮来村と村内がそれぞれ三例、水原村が二例と続き、あとは一例ずっとなるが、石神(神栖町)、佐田(鹿嶋市)、荘原、岡平(麻生町)、高浜(神栖町)、梶山(大洋村)、扇島(佐原市)の各村、下総では小院、磯山(佐原市)、大崎(佐原市)、加藤須(佐原市)の各村と、南北約三0キロメートルの広範囲にわたっている。大洲村の位置関係からIV-17図見れば、北浦を介してこれらの村むらとの繋がりが、強いのもうなずけょ,フ。次に離婚については、どのような状況であったのであろうか。七年間に村内で離婚したものは七例である。一般に江戸時代は離婚の比率は高