ブックタイトル潮来町史
- ページ
- 371/1018
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている371ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている371ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
潮来町史
第2章%40潮来地方の村むらと農民生活第IV-31図えF~ \つク、t.:t.?霞ヶ浦沼口百七ヶ村組合水行直御普請出来形帳一ツ六分から一ツ八分と高率を持続する。だが畑高の増加した明和期一i四一)ニには一ツ八分そ、して延享から宝暦期(一七四1六四一二に)はには一ツ四分元、文期(一七三六i四O)には一ツ六分、寛保期(一七四七一一1一五)には再び下って一ツから一ツ二分となる。しかし享保期ツ三分から四分とやや上昇し、天和期(一六1八八一一二か)ら正徳期(一七二)には一ツ一分から二分と低いが、延宝期(一六七三1八O)には一この畑方の年貢率は正保期(一六四1四七)から寛文期(一六i六一るようになる。四1八O)には一OO石をこえ、畑高が村高全体のほぼ三分の一を占めだけであったが、享保期から次第に増加を辿り、明和・安永期(一七六一方、畑高は田高に比較して少なく、開発の初期にはほとんど屋敷地げられ、他地域同様に定免制に改められていく。ように村高の飛躍的な増加となったが、反面年貢率は二ツ一分に引き下ようになったことを示すものである。そして、天保検地以後は前述した302010%40302010回免df町三ごヌ九4.,.C,e二三.,.二-…・)正保2慶承明安応暦11M 1田一一回免万治1一川寛文1取4 7日延{玉14一冗禄断全ヨ1=HJ天貞元和享禄マ2 2 l,duτ守,IAU-q-{玉a3、uυ氷正徳6 2畑免.戸4・.・4・._ _ _4 .・4・h・a・.唱戸d、享保3co031ql'MFhd元文。1'.・+六I~-'"・大P~ F-fyぺ.,、/ \ .'ー・.→-.-.-.\J\〆‘、,'"、J、",'、",'~. ".'、,、.、,、,,ー宝明安天暦和永明10 13 3 6 1 4 7 1 4天明1=聞方全号島-司.寛政5=国方全引寛享文文天弘嘉安文慶明政和化政保化永政久応治7 2 5 8 1 2 2 5 8 1 14 3 6 9 12 3 6 9 12 1 4 3 6 3 6 2 1 1-。aq寛保2延享2寛延l{玉暦14uy7第IV-32図大洲新田の年貢率359