ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

N近世第IV-23表大洲新田の災害引高一覧年代村両災害引高/災筈引高/備考年代村高引高村尚引高村高備ヨ白吾,明暦i年(1655)201石88石43.3%元文3年(1738)279石62石31.2万治l年(1658)22318482.5出方水入りJ:!:保2年(1742)27814953.8水腐3年(1660)20111054.8出方水入り宝暦7年(1757)29718562.3水腐:斑文8年(1668)2029245.5天明1年(1781)35323767.2田方全引.水腐貞享4年(1687)N19495.6田方全引,水入り3年(1783)N23366.0水E話元禄1年(1688)N19696.7田方全引,水入り6年(1786)36728276.8田方全引,水腐14年(1701)N8240.68年(1788)N12935.3宝永l年(1704)N9446.4寛政5年(1793)N25269.5回方全引,水腐2年(1705)22816572.3水怒,砂置10年(1798)N12133.13年(1706)N12153.1塩朽享和2年(1802)N13235.94年(1707)N10646.1文化4年(1807)41424158.1水腐,無水不作5年(1708)23211951.3天災引,砂置5年(1808)N26263.2水腐6年(1709)N15355.1塩朽,砂置9年(1812)41629270.3田方全引,水腐7年(1710)N10545.1文政3年(1820)41812830.7正徳、1年(1711)N10947.15年(1822)42114434.32年(1712)N9842.47年(1824)N29971.1水腐3年(1713)2009842.41年(1828)42227364.6水!街,水怒4年(1714)N9842.412年(1829)N26362.4水押,水腐5年(1715)N9842.4天保7年(1836)42430572.0田方全引,水腐享保l年(1716)2058239.91年(1840)N30572.0田方全引,水腐2年(1717)N16069.5塩朽,砂置弘化l年(1844)67334951.0水!街3年(1718)2086430.82年(1845)N48271.5水!街,風害4年(1719)N7335.43年(1846)N55582.5国方全引,水腐5年(1720)N7335.4認永2年(1849)N55582.5白方全引,水腐6年(1721)N15077.5塩朽,砂箇慶応2年(1866)N22533.27年(1722)N6832.8明治l年(1868)67655681.1国方全引,水腐8年(1723)21212759.7水朽9年(1724)N6631.310年(1725),〆6731.61年(1726)2267935.112年(1727)2447430.513年(1728)27410337.816年(1731)2789634.419年(1734)27917663.0水朽,砂置た村高の増加は、そのまま大洲新田の順年貢割l付状より作成水害の頻発前述した年貢割付状からみにも一つの特色がみられる。対して畑方が著しく低率であったところ石以下は切捨高率であったのに、大洲新田では田方に水戸藩領全体の年貢率は田方より畑方がえる大幅な引き高になっている。そしてる田方年貢が全引き、或は二五O石をるが、}の年かその前年には水害によ五分(五パーセント)に引き下げられてい化五年(八O一八)などの畑方免はすべて一)、同六年、寛政元年(一七八九)、文具体例をあげると、天明元年(一七八新田の災害の頻発を知ることができる。確認でき、この年貢率の変化からも大洲水害などのあったことが年貢割付状から激に下降している年かその前年には必ず}のような畑方免の変動、特に免が急は一ツ二分に固定している。(一八四九)以降明治に至る、ま畑で方免三分台の低率となる。そして嘉永二年幾分上昇するが、天保の検地以後は一ツには一ツ二分から四分となり、その後は安永の中期から文政期(一八一1八二九)(一七六四i七一)には下降して一ツ六分、360