ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

港町の繁栄と推移第3章く仙台から米穀を潮来に回漕し、途中で廻漕を差し止めるようなことはしないということであった。再三にわたり熟談した結果、の趣旨を水戸藩へ報告した。」れについて水戸藩と仙台藩の役人が話合い、仙台藩は蔵屋敷の用地を水戸藩から借用することにした。借用地の年貢金は藤右衛門が仲介して水戸藩へ上納、慶安二年から承応元年まで四年分の年貴金一分判二O切と銅銭九三五文は、仙台御その後、藤右衛門が水戸藩へ幾度もお屋敷様より水戸藩へ納めた。1扇瀬舟が行き来した前}Iの風景願いをして、借上げ地を除地(免税地)にすることができた。そのため、先に水戸藩へ納めた四年分の年貢金もお返しいただき、両藩に話をして示応二年十二月に仙台藩の武沢太郎様に返上した。その請取りは今でも庄兵衛が所持している(大意)。右の願書は、仙台蔵屋敷が設けられてから一三O年余り経過して、仙台藩荷船の潮来廻漕が激減したため、蔵屋敷設立の経緯と末長く潮来に廻漕するという当初の約束を説明し、潮来への入船増加を願ったもので第IV-38図ある。この願書から、潮来への仙台藩蔵屋敷の設置は、庄兵衛の先祖藤右衛門が仙台藩から依頼され、藤右衛門の仲介で用地の借上げと除地扱いが実現した一端がうかがえる。次に仙台蔵屋敷の規模や推移についてみよう。仙台蔵屋敷は慶安二年(一六四九)、仙台藩が潮来村から高二石七斗三升六合、辻村から高二石三斗五升二合、坪数にして二七三O坪六分三厘五毛の土地を水戸藩から借用して蔵屋敷を設けたことにはじまる。蔵屋敷地は、慶安二年から承応元年(一六五二)まで、仙台藩が水戸藩に地代の支払いをする「御借地」として取り扱われたが、承応二年からは「御除地」になったという。これについて水戸藩の編年史料である『水戸紀年』の承応二年の記事383