ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

の距離は八、九里なので風が良ければ二、三時で済み、銚子で順風を見て出船すれば一日一夜で石巻へ着く。もし風が変って走ることが不可能になれば、那珂湊、平潟など四、五か所の船入りがあるので、そこに入りまた風を待って出船する。夏は南風の吹くことが多いから五日、七日、十日迄はかからない。銚子から船入りをつなぐと石巻まで九六里というが、銚子から石巻まで沖合を直通に走ると六五里といい、一夜半程で走り着くから夏の下り船で破船は二0か年に一度もない。仙台から積み出す船で江戸へ直走する船は房州沖で南風に当てられ、銚子を目指して乗り戻っても銚子の河口は北へ向って聞いているので入ることができず、鹿島灘で遭難することがあることなどを話した。この話を聞いた番頭平兵衛は満足して、荷主共と相談しそのようになれば是非お世話になりたい。そのうち石巻迄の運賃など相談したいが、今年の分は既に残らず積み立てたので、来春からそのようにする積りで港町の繁栄と推移第3章ある。私共が世話する荷物が潮来廻りになれば他の問屋衆も同様となり取り扱い量が多くなってお世話の甲斐もある。委細は来春までに紋兵衛殿とよく相談する、ということになった。右のような経緯により、関戸利兵衛が商売をはじめて五、六年を経た元禄七年(一六九四)、江戸問屋衆の荷物を、潮来経由で仙台に送る世話を引き受けるようになった。元禄七年の夏、大坂の商人で仙台にも出屈をもっ尾張屋太兵衛の番頭安兵衛が、当年は試みとして古手、太物、くり綿など四八七駄を下してきた。それを潮来で廻船五般へ五度に積み、海上を無事に走って石巻に着岸した。潮来での積み出しから八日から一四、五日で到着した。ロコとき、潮来で積み替えに要した費用は次のようである。運賃拾弐駄壱分蔵敷拾駄壱分荷物代壱駄五文蔵へ上け下け共はしけ代壱駄拾文かかり川岸より本船まで右のうち、運賃が拾弐駄につき壱分では積み兼ねたが、養父市郎右衛関戸如水の纂門方よりの頼みというので、二、三年間はそのようにしたが、その後は拾駄につき壱分に値上げした。江戸から送られる荷物の世話を引き受けたので川岸に蔵が必要となり、第IV-44図翌年春に間口六問、奥行弐間半の瓦ぶき土蔵を一五両余りかけて建てた。また、同年の冬には表町通りの見世屈も二八、九両かけて造った。その後、江戸問屋衆から潮来へ下げる荷物も、一七O Oないし一八OO駄となり、蔵敷金も三O両程となったので宝一永元年(一七O四)、.s,fこたび川岸に六問、二間半の土蔵を増築した。このように江戸から潮来経由で仙台送りする荷物が増加したので、宝391