ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近W延宝期から元禄期にかけて『色道大鑑』や『諸国遊里好394遊廓の繁栄色由来揃』などの全国版遊里案内書が刊行されるにおよび、当時の人々の関心は三都(江戸・京都・大坂)の廓から地方の廓へと全国的な広がりをもつようになった。さらに江戸時代後期には商品流通が全国規模でおこなわれ、それにともなう人の流れの活性化は地方のさまざまな情報交換を可能にした。喜田川守貞の『近世風俗士山』に収められている「諸国遊所見立角力井-一直段附」には、文政期十六島を望む図cr潮来図誌』より)の全国各地の知名度の高い遊廓が番付の形式で記載されており、潮来は東之方の第三段めにみえる(比留間尚「諸国の廓」『国文学・廓のすべて』所収)。これよりさきに潮来節が江戸で流行したこととあいまって、江戸時代後期には潮来の遊廓は全国的に知られていたものとおもわれる。その繁栄の様子を具体的な数値をもって示してみたい。残念ながら、現存する潮来遊里関係史料は少なく、以下に示す資料は『潮来遊里史』より引用した。正徳五年(一七一五)の分遊女数一二人客数回二OO人第IV-45図蔦屋四郎右衛門柏屋武兵衛七一ご五O伊勢屋三五郎ム/\OO橘屋佐兵衛三九OO東屋文治郎七一五OO島田屋作右衛門七OO四ツ目屋七兵衛O二五OO新東屋東四郎二八OO松屋市郎左衛門O三七OOA、o八五人二四二五O人