ブックタイトル潮来町史

ページ
415/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている415ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

さらに寛永十四年(一六三七)、島原の乱の鎮圧に苦慮した幕府は、檀家制度(寺請制度)を設けて宗門改めを実施した。宗門改めでは、禁制のキリシタンと区別するため、武士、農民から賎民に至るまですべての人びとの所属宗旨を調ぺ、所定の寺に檀那(信徒)として登録した。寺と村などの役人は、キリシタンでない旨を請印した、宗旨人別改帳を役所へ提出した。現在潮来地方には、大賀の箕輪家と貝塚家、潮来の関戸家、津知の秋永家に宗旨人別改帳が残されている。幕府にはじめて宗門改役が置かれたのは、寛永十七年のことである。水戸領でも寛文十一年(一六七一)以降になると、宗門改めが広く行われるようになった。現在町域で確認されている最も古い宗旨人別改帳は、文化四年(一八O七)の貝塚家の記録である。しかしこの記録は、断片的で大賀村の全体像をつかむことは出来ない。第二章第一節の史料と一部重複するが、ここに同じ大賀村の宗旨人別改帳の一部を紹介しよう。「文政二年大賀村明脇市町…人別御改帳潮来地方の宗教と教育・文化卯三月作右衛門名主四月二十三日御改済藤萌詰門斗;空支/\台Lー十主/\'禅e7刀ミ長国寺旦那同寺日那期とみ年三十六同寺日那孫卯之介年十同寺日那次孫久年八ツ〆五外人ニ内辰同正主里寺口一一品人人E生那孫富次年五ツ第4章辰五郎年、y富之介外ニ枠富年七四十(略)村内にて日雇商売仕候禅男女ρ、Eコ弐家拾数の壱合竺人四人軒女男'日十士o/人人在方き唇疋宅土ァ方丈奉公人(略)一天台宗-両拾石七斗弐升弐合平助年四十一二本松寺E那同寺日寿日女房年三十六〆三人内同寺男二人女一人右平助年六ツ日寿日枠額士口馬壱疋当村茂兵衛所へ年季奉公仕候尚四石六斗五升六合八勺兵吉年四十三一天台宗二本松寺E那〆壱人請人山山山,a凋1,蔵男一天台宗一両拾壱石壱斗石升二合文殊院年六十五二本松寺門徒天台し戸市合一六三人内矧M什一一反,UF公人拾人胡地一MM一無前一引桝hhム口一村人別合一八四人内胡川什一一一以家数合四十三軒ヨ御屋敷御奉公二人HV在方奉公人九人家数合三十九軒馬二十疋馬二十二疋奉公人〆十一人外ニ寺一方寺内無一回同五軒差上申一札之事一此度宗門御改被成候帳面之通拙寺日一那ニ紛無御座候若脇合より切支丹邪蘇宗門其外御法度之宗旨と申者御座候ハパ拙僧罷出申披仕蛇度埼明可申候他所より参リ拙僧之日一那一一罷成候在方之分其者出国日一那寺より憧成証文取之旦那ニ可仕候井ニ新規之宗旨403