ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
W近世一、元和期(一六一五1一一)三以降に建立された歴史、由緒のない寺。の妙光寺(日蓮)である。一、住職がかけ持ちしている寺。雲寺(日蓮)、西円寺(一向)、真成院真(一)言、山伏八大坊、そして築地村一、町屋敷や百姓地(農民の耕作地で年賦の賦課地)にある寺。った。それは板久村の長勝寺(臨済)、浄国寺(浄土()真、普言)門、恵院一、檀家のない寺。このような破却が続いた元禄年間以降も、町域ではつぎの八か寺が残一、滅罪を行わないのに宗旨改帳に請判している寺。もあった。一、息災だけを行う寺。そのほか女犯が原因で破却された、板久村の自性院(真言)のような例している寺。を行ったと思われる寺院もある。一、禅宗、浄土宗、日蓮宗などの寺で宗門の法式に背き祈祷ばかり延方村の上福寺(真言)の四人、辻村の遍照院(真言)九人、など息災だけか不明の寺。また檀那を持つ寺院は、全体の約七五パーセントに達するが、中には、一、息災(祈、祷滅)罪(葬祭)のいずれも行わ、何ずが本業であるの一か寺中、除地を持つ寺院は二Oか寺で、全体の半数にも満たない。はあっても面積が小さく経営が不安定な寺院が多い。水戸藩領の寺院五宗派水戸藩領の寺院処分と麻生藩領の寺院水戸藩領麻生藩領寺院数還俗破・却廃寺存続寺院数廃寺存続真言31 2 27 2 5 2 3天台2浄土浄土真時1臨済2 2曹洞第IV-28表日蓮8 6 2山伏5 4行人2 2不明3 3言十51 2 40 9 10 6 4「開基帳J(彰考館蔵),I箕輪家文書Jなどにより集計破却の寺院は第wl幻表から見ると、概して檀那の数が少なく、除地寛文年間に一度破却された後の再建寺院か否か明確ではない。ただ真成院は、記録に開基が享保十年(一七二五)以前とあるだけで、iヂ』vφJ』I占っチ'',?言宗においては、普門院と真成院(大洲)二のか寺を除いて、すぺて廃寺天台および行人、山伏祈祷所など密教系の寺院が圧倒的に多い。特に真光院)を含め、四Oか寺が破却によって廃寺になった。各宗別には真言、五一の寺院があった。」れらの中で還俗の二か寺(延方村の福羽院と常る記録によれば、近世初期の潮来地方には、第Wlm表のように全体でむらの寺院の動向を見てみよう。「開基帳」および箕輪家など町域に残ここで水戸藩領として支配を受けた延方、板久(潮来)、築地、辻各村六Oパーセントにあたる一四二Oの寺院が処分をうけた。これによって、水戸領内では、寛文から元様年間にかけて、全体の約などである。406