ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

にとって経済的に、大きな負担となっていた様子がうかがえる。時之鐘ニ成:::道徳的な理由で無住になる寺も多く、当時の寺院や僧侶の生活が、領民外ニ古鐘一ツ長勝寺へ残す、浄国寺分ハ御引上之上銘すり潰しかる。また「女犯放蕩・女犯奔出・親不孝追院・博実不如法:::」な、ど勝寺浄国寺恵雲寺延方村普門院築地妙光寺タタミ」など、経済的な理由が廃寺の大きな原因になっていることがわ富田一乗寺堀之内村二本松寺上戸観音寺長国寺潮来長テ村願-一リタヨタミ」厨「堂大破修復不行届村方困窮・無住大破不行届四日迄-一打ちこわし成-一い戸たへし送、り水候事由別にまとめると第Wl別表のようになる。}れによる永と「年無住一、潮来御領村々撞鐘御引上武器ニ相用イ候一四一月付十、日より十整理された一九Oか寺の内訳はさ、まざまである。各宗別、整理の理一、潮来村時の鐘の銘すり消し可申事、照沼様より被仰付候ためであろう。戸御用日記」国立史料館蔵)に、次のような記述がある。第IV-30表密教系浄土系禅宗系メE弘3圭ロ↓l真言天台水戸領内の寺院処分(天保年間)日蓮浄土浄土真時曹洞臨済不明不明女犯放蕩3 5 2 1 3 15親不孝4 2 3 12永年無住49 3 6 1 4 4 69建物大破14 3 2 5 7 2 34寄寺・引寺7 3 2 2 4 5 25出奔タタ7 8 4 2 22願の上帰俗3 2 3 8そ。コ他1 2 5実際集計した数88 12 13 25 915 24 10 3 190(本文中の数) 89 1 13 26 815 24 17 3。196「筑波恨於呂之J(茨城大学図書館蔵)により集計存在で、数も多かった潮来地方の究鐘・仏具類没収の記録として、牛堀町の須田家文書(「水それだけ庶民に身近な、,「ノ。を願う祈祷的な仏教で、また小さな村でも数か村に一つは、時刻を告げる鐘として残されたといれらの寺院が現世利益院からすべてを没収するのではなく、大きな村では一つの党鐘を残し、寺院が多い理由は、V}仏具類の没収が行われた。『水戸市史中巻臼』によれば、党鐘は各寺革と同様に、密教系の院もあったが、天保十三年(一八四二)から翌年二月にかけて、全領内で寛文・元禄年間の改)とを計画した。水戸城下には、この計画に反対して没収を拒否する寺か寺となっている。の不足を補うため、領内寺院の党鐘や仏具類を没収して、}れにあてるが三七か寺、不明が六)から大砲の鋳造を開始した。藩では金属材料寺、禅宗の曹洞・臨済党鐘・仏具の没収策の一つとして、幕府に先だっ天保七年(一八時宗の浄土系が三九か水戸藩では、近海に出没する外国船に備える海防い寺で院浄が土一、浄一土か真一寺宗一、、てコ一と推測される。住職ではなく、弟子か門徒僧であったために、寺院が残ったのであろうW天台・法華等の密教系れ以後も残り、観音院もまた存続している。}れは還俗を願い出たのは近宗派別では、真言戸村の観音院とともに「願之上帰俗」となっている。しかし恵雲寺はこか寺)。町域でただ一か寺名前が出てくる寺院がある。それは恵雲寺で、隣の上世されているのは一九O「筑波根於呂之」の記述で、処分の対象となった一九Oか寺の中に、410