ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
世近第二節潮来地方の神社と寺院W町史編さん委員会が刊行した『いたこの神社と寺潮来地方の神社院』には、現在町域で祭礼がおこなわれている神社として、鎮守社三七社、水神社三八社、稲荷神社三二社のあわせて一O七社を記している。全国の神社は、明治四年(一八七一)の太政官布告により、国家の宗杷として特別な保護をうけることになった。同時に神社は、官幣社(大社、中社、小社)、国幣社(大社、中社、小社)と諸社(府社、藩社、県社、郷社、村社、無格社)に区分され、近代社格制が完成した。}の制度によって、町域で「郷社」となったのは、大生神社(大生)と素鷲熊野神社(潮来)の二社である。村社は、鹿島吉田神社(延方)、熱田神社(築地)、硯宮神社(辻)、聾森神社(釜谷)、香取神社(水原)、稲荷神社(水原)の六社で、他は無格社である。これらの神社の多くは、近世に祭記されたといわれているが、残念ながらその起源や由緒についての詳細な記録は、ぃ。古来よりの伝承をもとにした寺伝や絵馬、棟札が、社歴を知る貴重ほとんど見つかっていなな手がかりである。そのほか『新編常陸国誌』や、彰考館文庫(水戸市)所蔵の鎮守「開基帳」「宝永頃水戸領鎮守録」などの断片的な記述があるが、これらを通して町域の神社の姿をみてみたい。412町域のおもな神社と寺院第IV-49図素驚熊野神社潮来町大字潮来一一三七番地潮来地区同神社所蔵の記録によれば、辻の天王原に祭られていた小社を、文治四年(一一八八)、潮来の天王河岸へ移ごずして、牛頭天王と呼んだのが素鷲神社のはじまりである。牛頭天王は八坂神社の祭神で、元来はインド祇園舎の守護神とされ、疫病除けの神として知られている。文治四年(一一八八)の遷座と、牛頭天王を奉斎した背景には、潮来地方での疫病の流行などがあったものと思われる。また伝承によれば、熊野三社を参詣した村人が、その霊験を尊んで天正年間(一六世紀後期)潮来に勧請したのが、本宮、新宮、那智の熊野三社権現である。