ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近W社神鹿島吉田神社生大第IV-51図鹿島吉田神社大字延方新宮一二八六番地己貴命と少彦名命の二神を祭るが、南北朝時代(一四世紀中期)に鹿島神さかっ・」ワ宮と、大洗および酒列両磯前神社の分霊を勧請したとされており、延方延方地区古くは、古高地区の国上神社と鹿島神社は、同じ社殿に二つの神を祭る相殿の神社であった。鹿島神社は、年(一六四八)舞殿再興との記録がある。414鹿島神社と吉田神社の相殿は、元禄期の一村一社の政策によるものであろう。祭神は武聾槌命と日本武尊、除地石三斗四升五合。境内社は稲荷神社、四勝神社、恵比須神社、厳島神社、素驚神社、山倉神社など九社。現在は延方相撲で知られている。延方相撲は延方地区の当番による花相撲で、成人による四十八手相撲がおこなわれ、盛大な奉納相撲となっている。国上神社大字延方字古高三二二ハ番地口伝では古代土着人の信仰神といわれ、大同年間(九世紀初期)の創建と伝えられている。しかし上戸村(行方郡牛堀町)の国神神社は、延方と閉じ大の国上神社主ほぼ同時期の祭杷ではないかと思われる。ササラ厄払いの舞いと人形送その後現在地に移され、国上神社は独立の神社となった。境内社は大六天神社。春の祈祷祭には、ヶ原に創建された吉田神社を、「宝永頃水戸領鎮守録」によれば、延宝四年(一六七六)、延方の諏訪水神社延方地区には、文化・天保・安政期に屋敷神としてたてられた、水神元禄十一年(一六九八)、引き宮にして鹿りが仔リわれる。稲荷神社島神社と相殿にしたのが、鹿島吉田神社である。鹿島神社の棟札には、社や稲荷神社が数多く祭られている。応永二十年(一四二二)神輿修造、寛永七年(一六三O)鳥居修造、慶安元