ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

人びとが北浦の水難・災難除けと、五穀豊穣や豊漁を願ったものと思われる。また航海安全の神である金比羅神社や厳島神社がみられるのも、水郷地域の特色であろう。月読神社大字辻一九六番地津知地区通称二十三夜尊とよばれ、現在の社殿は文化四年(一八O七)内田山に建てられた、延方郷校の孔子聖廟を後年移築したものである。『茨城県神社誌』には、築地妙光寺の日具上人を招き、菩薩を勧請し潮来地方の宗教と教育・文化第4章牢らp tε勺弘司ネ土神読月乙守第IV-53図一//'たとある。日具は、徳川光聞と親交のあった人物であるから、月読神社の祭杷は、貞享・元禄年間(一六八四1一七O三)のころであろう。祭神月讃命。境内社子育観音堂。硯宮神社大字辻二O六番地古来は今宮八幡神社とよばれていたが、元禄年間の八幡神社改めによって、硯宮と社号をかえた。硯宮と命名したいわれについては、源頼朝が奉納したと伝えられる、馬蹄石の硯を見た徳川光聞の指示による、とする伝承がある。祭神水神社、妙正神社、道祖神社。応神天皇。境内社熱田神社大字築地一九三番地築地地区鎮守「開基帳」には三十番神、「宝永頃水戸領鎮守録」では、鹿島明神の名前で記録されている。江戸初期には社領はなく、天保年間(一九世紀中期)になって寺領八石八斗の除地をえた。なお『茨城県神社誌』によれば、もとは築地大明神といったが、藩主光園が神社の由緒を尋ねたのを機に、熱田神社の社号を贈ったとある。また根屋明神とよばれていた時期もあり、その沿革については、ょく分らない。現在は十二月最初の卯の日の祭りで知られ、獅子舞やおかめ、ひょっとこの踊りが奉納される。祭神御手洗神社。日本武尊。境内社水神社大字大州八六二番地大洲・釜谷地区美津波女命。境内社第六天神社。祭神「宝永頃水戸領鎮守録」によれば、潮来の牛頭天王社と熊野三所権現の二社が、大六天(大楽天正)に相殿になったとある。大楽天正は、疫病流行の厄除けとして祭られ、棟札などの調査から、大415