ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近IV洲の水神社ではないかと考えられる。蔓森神社大字釜谷字聾森四一五|一番地潮来町域では社歴の古い神社である。社伝によれば日本武尊がこの地香神神社一五世紀末の明応年問、島崎城主の島崎佐衛門尉の氏神として祭杷さ社神宮硯第IV-54図祭神水万命。大字水原一三五二番地最神社大字大416大賀・水原地区賀字立野地元では、厄払いの神として崇拝され、疫病が流行すると神輿をもみ歩き、その退散を祈る。ネ土所有する手洗鉢には、寛延二年(一七神四九)の銘がある。田祭神大国主命。熱浅間神社大字大賀字富士山八O七第IV-55図番地承応三年(一六五四)、石の宮を建立して村の氏神とした(社伝)。祭神木花咲耶姫命。境内社峰・癒着・稲荷の三社。御手洗神社大字大賀久保井戸文殊院と最神社の祭杷用の井戸として祭られた。に水聾を置き、産業の発展を祈ったのが始まりとされる。稲荷神社大字水原四四四番地れ、島崎城の鬼門に建立されたと伝えられている。造の棟札が残っている。大同元年(八O六)に再造営されたと伝えられ、正徳二年(一七一二)修祭神武波槌命。境内社金万比羅神社、庖靖神社稲荷神社、三峰神社。水神社。明和四年(一七六七)九月、京都伏見より勧請されたとの伝承がある。境内社