ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

潮来地方の宗教と教育・文化第4章-:tI真言宗は、遣唐使にしたがって唐にわたった空海が、帰真由一小国後聞いた宗派である。加持祈祷によって現世利益をはEかる仏教として、人びとの聞にひろまった。近世における潮来地方の真言宗寺院は三七か寺で、町域全体の寺院六二か寺中の約六Oパーセントを占める。その中心は延方の竜雲山普門院である。三七か寺の中で朱印地や黒印地を持つ寺院はないが、除地を持つ寺院が一五か寺ある。その筆頭が七石の除地を持つ普門院で、宝殊院、宝積院がそれに続いている。また開基の年代をみると、記載のあるものが一七か寺で、ほかの二Oか寺は不明である。大同元年(八O六)開基の院神宮寺不動院がもっとも古く、同三年(八O八)の宝殊院、弘仁三年(八門一二)の光明寺など、その後は水原のいずれも延方地区の寺院が続き、愛染院(一一世紀)、延方の普門院(一四世紀)、潮来の不動院、地蔵院、普文殊院、西福寺、花蔵院(一五1一六世紀)などとなっている(第四章第一第IV-56図節参照)。これらのうち現在まで存続する寺院は普門院、大洲の真成院、大生の延命院、水原の成就院と愛染院、である。普門院延方六O三番地寺伝および『新編常陸国誌』によれば、天安二年(八五八)、南都六宗の一つである法相宗の寺院(荘厳寺)として、上戸村小野詰に創始された。寺院は室町期の正長元年(一四二八)、上戸から潮来に移ったが、}れを機に真言宗の僧乗賀を招き、寺名を竜王山普門院と改めて、真言宗醍醐寺三宝院の末寺となった。}の移寺や寺名、宗旨の変更についての詳細は不明である。口伝では移寺の理由について、次のように伝えている。当時延方の洲崎を流れる鰐川は、北浦と外浪逆浦を結ぶ重要な水路であった。417この川は川幅が狭く、流れが速いため水難事故が絶えなかった。