ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近W院染愛第IV-57図建てて宝殊院に管理をまかせた。そこで土地の人びとは、航海の安全を祈る地蔵菩薩を安置し、地蔵堂を山派長谷寺(奈良県桜井市)の直末寺となった。現在寺では、本尊の船越五月、醍醐三宝院から同じ真言宗の豊寺名を改めたと云われている。「江戸418幕府寺院本末帳」によれば、普門院は末寺三か寺(上戸の成就院、水原の愛染院、島崎の東光寺)と門徒一か寺を持っとある。しかし「開基帳」には、法華三昧堂末寺二か寺と門徒三一か寺を支配下におき、南北朝時代の応安三年(一三七O)の開基となっていて、史料により異なっている。現在の地蔵堂の柱には地蔵講板久和田町貞享元年子八月二十四日とあって、法名妙誠と俗名おかめら七八人の女性の名前が朱で記されている。」の女性たちはいずれも潮来遊廓の遊女であったという。普門院は、明治二十九年(一八九六)水戸藩の寺院「開基帳」によると、宝殊院は普門院の門徒で、二石九愛染院水原番地地蔵尊をはじめ、弘法大師像や大日如来像などを安置している。斗七升六合の除地と百姓E那一O人を持つ寺院であった。しかし宝殊院開基についての詳細は不明である。『いたこの神社と寺院』によれば、かわって地蔵堂の管理にあたることになった。は、元禄十四年(一七O一)三月二日廃寺になって、本寺である普門院が永承六年(一O五一)前九年の役に出陣の途中、源義家が守護仏の如意輪その後の沿革普門院の寺歴については、不明の点が多いが元禄十五年(一七O二)、観音菩薩を、当地に安置したのがはじまりとされている。について、「郷土史記録」(町史編さん室蔵)によれば、近世の水原村には愛染院とその門徒成就院や、鹿島の神宮寺門徒宝蔵院など六か寺があっ光聞の命により潮来から延方に移ったのを機に、竜雲山普門院普渡寺と