ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近Wから下付された費用によって、ついで一九世日具上人は、水戸藩元禄五年(一寺となり、長寿院は由緒もないので破却が申し渡された。また檎山村の妙蓮寺は太田の久昌寺の永代末人による客殿建立以後のことである。四間四方の本堂を再建し、六九二)に潮来村に恵雲寺を建立した。引仕候段、不届ニ被思召候間破却可被仰420付候(「杉山叢書第三、四破却帳」寛文六年八月二十一日の項)願成寺(堅能院) (高萩市赤浜〕}れによると妙蓮寺(本会山妙蓮寺本成院)、願成寺(松塚山願成寺堅能院)、妙法寺(大高山妙法寺安国院)および長寿院(長安寺長寿院)は、幕府の禁止する不受不施派であったので処分の処置がとられた。しかしこれらの寺院はその処分に従わず、何かと云い逃れをしているので不届至極であり、破却するとい第IV-59図うのである。)の記事に続いて、妙蓮寺と願成寺は、由緒のある寺なので寺はそのままにして、僧侶のみを追放し、家財を没収するとある。そのため「開基帳」では、一か本寺にもなっている築地の妙光寺の配下に、妙法寺と願成寺が永代末寺として組み入れられた。また水戸藩の編年史である「水戸紀年」には、宝永四年(一七O七)藩つなえだ主綱僚が、長勝寺とともに妙光寺を訪れて、寺内に「妙」の字を大書しさらに寺は元禄十二年(一六九じめとして、多くの保護をうけて繁栄した。日具上人と親交のあった藩主徳川光聞から法華三昧堂の建設をはそえたとある。て、その傍に「妙之一字是十界之明鏡光照善悪臆因寺内之心法」と書き九)、さて妙光寺についてはつぎのような記録がある。槍山村(高萩市)妙蓮寺、赤浜村(高萩市)願成寺、妙法寺井、末寺長この寺には以前から撞鐘があった。ところがこの鐘が古くなったため、しかし出来寺伝には、次のような話もある。寿院儀去年不受不施御法度ニ付破却ト被仰出候処不致手引何角ト延檀徒の宮本了西らが相談し、新しい鐘を造ることになった。