ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近W一7' l'第IV-67図旧延方郷校の聖堂(現辻三夜尊)喝p(関沢潤一郎「延方聖廟史」)。の宮本元球(茶村)もたびたび来校して、指導に当ったと伝えられている郷校守を沢田弘(称平格)といい、山本北山の門人で頗る文学に通じ、久立し、村民を教導した所である(中略)。である大内玉江(与一郎)の著「清慎430録」の中に、「小川・延方に医学館を始めて建てたが」れも質素で大げさなものではない。費用も役所で少しずつ学校金として別に蓄えて、それが千両余りになったので数百部の書を買い入れた。なかでも延方学校の孔子堂は屋根も銅瓦に造ったから後世修理の必要もない。また、館主の扶持給まで別に用意しておいた」という意味のことが記されている。また、小宮山楓軒の嫡孫である小宮山南梁の「延方郷校」(『日本教育史史料巻九』常陸国旧水戸藩領行方郡延方郷校)にも、「延方郷校は文化五年、郡奉行小宮山昌秀が郷村の父老とはかつて創延方郷校の蔵書蔵した書籍は多い。延方学校で子弟の教育に使用し、参考図書として所を賜って下士に列し、保木清淵が没した後は専ら沢田が教授にあたった。水戸家よりも二口俸その義子を格介という。小丘の上に銅瓦の孔子堂}れらの蔵書は、藩より支給さがあり、春秋両度にはかたちばかりの釈実を執行した。神主は藩主哀公れたもの、近隣村の有志の寄附によるもの、学校で購入したものなどである。また(斉惰)の書で、「孔子神位」の四字を掛軸とした。蔵書は国書漢籍を合このうち、藩より支給されたものは、藩が仕法金を貸付けて、その利わせておよそ三百部ばかりあり、定められた経費の額はいくらなのかわその利子を書物の購入費に息を学校の経費に当てたといわれる。からないが、郡庁に仕法金が千両余りあり、)れについて、小宮山楓軒の門人当てた。また、学校を創立したときの費用も郡庁から出したものであ