ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

世近W皇の御世に、建借間命が凶暴な賊を撃つために一族をことごとく捕えて、一時に焼き滅ぼした。)の時痛く殺すと云った所が、今、伊多久の郷となった(大意)。続いて引用しているのは、天保十年(一八三九)に井口庵二条が著した、『潮来図誌』の記述である。『潮来図誌』は上、下二巻から成り、上巻には潮来に関する詩歌や名勝古蹟を、そして下巻には町の景観と潮来踊りの図、合わせて二枚ほかを収めている。上巻の記述は常陸なる潮来の里は、東都五町街にならひし廓なり。朝夕の出船入ふね落込客のぜんせいは、花のあした雪のゆふぺ、十六島々はいふもさらなり。香取、かしま、息栖、てうしの浦々までも一まうにうけいきゃうかみ、富士筑波の両峯は西南につらなり、数十里てうまうの影境な40り「潮来図誌」にみる潮来浜町近き頃まで、銚子口より親船ひきもきらず入津せし処也。諸侯の蔵屋敷建つピきしが、淵瀬かわりて船もいらず、唯仙台河岸のみ存ちょろりす。また西の入口に潮浪里と呼小坂あり。うしほのさし引ある故に、せんげん左は名づけしならん。愛より遊女町まで十余町、其聞を浅間下とて、いや高き並木なり。いたこのばらばら松とて、沖乗船の目あての森とや。春は梅藤の名木、四季のながめいとよろし。此処より霞がう第IV-76図ら信田の浮島手にとる如し。とあって、当時の町の情景が生き生きと描かれている。そのほか地名の由来と町の様子に続いて、『潮来図志』は長勝寺の仏殿と鐘銘、島崎左衛門尉の姫である小里姫の伝承を伝えている。次に『南郭文集」三篇一を引用して、「潮来竹枝」の祖として知られる服部南郭の漢詩文と、「潮来曲の唄」八首を載せている。南郭は江戸中期の儒学者荻生祖僚の弟子で、漢詩文にも勝れた才能を発揮した人物である。また竹枝とは、その土地の風俗や人情を、民謡風に詠んだ唄である。「潮来曲の唄」として柳よゃなぎよ直なるやなぎいやな風にもなびかんせきみは一二夜の三日月さまよ宵にちらりと見たばかりわしが心が竹にもあらばわって見せたやこのむねを以下五首が紹介されている。南郭の漢詩文「潮来詞二十首井序」の概略は、次のようである。甲子(延享元年、一七四四)の春、鹿島に遊ぼうと、舟で利根川を下りながら舟歌を聴いたが、その声調は大変に情趣があって哀愁に満ちてい