ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

出すこともある。冬北浦に飛来するカモ類は狩猟の対象となり舟で猟をする人も多い。台地の森林部にはキジ、コジュケイ、キジバトヒヨドリなどもおりこれまた猟銃の向けられる鳥であるが最近では人家も増え、禁猟区の面積も広められて、猟場はだんだん狭くなってきている。また人里にはム身ノv'Hノ、カラスなどやかましい鳥にまじって、ウグイスメジロ、司Eズホホジロ、スズメなど可愛らしい鳥も見かける。夏鳥が渡って来る青葉の頃台地の森はこれら夏鳥の渡りの休憩地となる。ゴルフ場の近くの森でテッペンカケタカとホトトギスのするどい鳴き声を聞くことがある。夜間キョッキョキョキョとよくとおる声で鳴きながら渡り、茨城県では筑波山や県北の山地に生息し夏を過す。この阜白血味でも台地の山林はむやみに伐り払わずに、自然の生態系を大切にしていきたいものである。本町においても四01五O年程前までは、タヌキキツ数少ない野生のけものネコウモリなどが生息しており、実際昭和三0年代の道路工事中捕えられたタヌキが飼われていたこともある。その後開発は急ピッチで、宅地造成、道路整備、ゴルフ場開設などが進められ、野生のけものの住めそうな場所はどんどん無くなっていった。現在見かけるのは、ノウサギ、イタチ、モグラぐらいのものではなかろ沿っか。物潮来町の鳥類で特記すべきものに北浦水原地区に飛来すょうこそ北浦の白鳥る白鳥がある。以下、水原の小沼勇氏、十番の根本隆夫生氏の観察記録や資料から概略を記すことにする。第2章北浦への初飛来は昭和五十六年(一九八一)十二月(日付不明)で、コブハクチョウの成鳥二羽、幼鳥四羽計六羽であった。以後その数を増し、別表の様な状況である。飛来するハクチョウの種類は、コブハクチョウが大部分でそれにオオハクチョウコハクチョウが一O羽前後加わっている。コブハクチョウは、くちばしのつけ根前部に檀赤色で黒いこぶがあるのでこのように呼ばれ、他のハクチョウと容易に識別される。野生のコブハクチョウはユーラシア大陸北部に広く分布しているが、一二世紀の昔から飼育されるようになり、日本でも公固などの池に多く飼育されて、'301V-J-水原に来るコプハクチョウについて調べたところ、北海道のウトナイ湖(千歳の近く)で放し飼いにされ野生化したものの一部が越冬のため、飛来したものとわかった。飼鳥であったコプハクチョウがどうして渡りを始めたかについてはまだ不明の点が多いが、その数は今後増えるだろうと予想されている。北浦への飛来は毎年十一月中に始まることが多く、夜間に三っか四つのファミリーがいっしょになり一O羽位が一度に来ていることがある。帰るときも同じで三、四グループがいっしょに旅立つということである。飛行距離はふつう数十キロと短かいものとされており、ウトナイ湖と茨城聞は直線距離にして約七五0キロである。全国でもコプハクチョウが飛来して越冬するのはここだけであるというから、大変貴重な場所といえる。次に飛来数であるが表が示すように、十一月に飛来し始め一i月に滞在羽数はピ1クに達している。ハクチョウの食物としては、水草とその根茎を主とし見虫、員類、小魚、そしてパンやモミなども食ぺる。また多数飛来するところでは、話ヨの無い所の田の落穏や川岸の草も食ぺるために移動飛行する。日中の時間の半分以上を採食のために費すが、渡りのごく間近かになると餌を与えても食べなくなる。体重を減らし飛行しやすくするためで35