ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第5章第IV-33表幕末・維新期の潮来地方県名・戸数・人口(明治4年)県名戸数人口戸人松岡県2,81312,319水戸県4.188259,344乞ノb、戸県1,158 6,309笠間県8,28847,832下館県2,82715,196下委県1,7958,786松)1 1県3,20117,631石岡県3,27118,102τ,bt、筑県8885,479土浦県14,650 78,278麻生県1,7779,283牛久県1,6598,674竜ケ崎県1,8139,642結城県3,39918,436古河県18,88683,432若森県24,695 149,976葛飾県(一部)40,040 230,614宮谷県(一部)51,297 281,077瀬谷義彦『茨城県成立史』による.いう体制はそのままであったから、庶民にとっては旧幕藩時代と変らぬ版籍奉還が行われて知藩事(藩知事)の支配下になったとはいえ、藩と一四OO石というのも約二倍位の大きさの村であった。一般的な村の四i五倍という規模であり、潮来村も二重谷地区を除いてな地域であったといえる。とくに延方村が三九O石というのは、普通石高が一万九九石九斗三升六合となる。石高からみるならばかなり大き四七石九斗七升七合、それに宮谷県分が加わって九か村と一新田で、総潮来地方は水戸藩領五か村で七四O九石七斗、麻生藩領四か村で二一二重谷新田五四二石二斗五升九合宮谷県管下大生村四五七石一斗三升二合大賀村五一二石四斗七升八合釜谷村二九五石六斗七升一合水原村七八二石六斗九升六合麻生藩領築地村五六五石田斗八升三合辻村七八七石五升四合統合による新しい県茨城県新治県印施県木更津県県庁茨城郡水戸新治郡土浦印織郡佐倉(略)石高51万石余61万石余46万石余(略)戸数77,070戸92,788戸83,670戸(略)人口366,505人470,509人456,689人(略)国号常陸常陵下総下総(略)郡名多賀・久慈・那珂・新治・筑波・香取結城・猿島・相馬・茨城・真壁河内・行方・匝瑳葛飾・岡田・豊田・(略)信太・鹿島海上千葉・埴生・印鰭廃県名水戸・笠間・下妻・土浦・竜ケ崎・牛古河・結城・佐倉・松岡・下館・宍戸・久・麻生・松川・石関宿・生実・曾我宮谷その若森岡・志筑・若森・多野・葛飾・若森他略古・高岡・小見川瀬谷義彦「茨城県成立史』による地方は茨城県と新治この結果現在の茨城一府一O県となった。四県が統廃合され、関東七か国の一府五第IV-34表月後の十一月十三日、置県からわずか四かあった、そこで廃藩雑さを示すものでもとは、支配体制の煩以上の県ができたった。全国で三OOざまな県の規模であったから、大小さま00人という県もあうにわずかに約五四最大に、志筑県のよ000人の水戸県を県は人口約二五万九若森・葛飾・宮谷県をあわせると一八県に分かれたことになる。しかももあって一五藩が存在したが、}れが当初全て県となったから、}れに県とあわせると三府三O二県が誕生した。現在の県域には藩の移動など行した。全国で一工ハ一藩が廃止されそ、のまま県となったから従来の府消滅させる必要があった。そこで明治四年(一八七一)七月廃藩置県を断ものであった。新政府は中央集権体制の確立のためには、}の旧藩政を477