ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第一章新しい時代の幕開け第一節行政制度の変化徳川幕府の崩壊後、新たに成立した明治政府は、明治廃藩置県と町域の村むら二年(一八六九)、それまで全国に割拠していた諸藩に対する政府の統制力を強化するため、従来諸藩が掌握していた土地と人民に対する支配権を朝廷(明治政府)に返納させる。「版籍奉還」である。この版籍奉還は諸藩主からの「上表」形式をとって行われた。まず明治二年一月、明治新政府の母体となった薩摩、長州、土佐、肥前の四藩主が行い、他の諸藩もこれに追従した。この結果、全国の土地人民の支配権を掌握した明治新政府は、諸藩主をそのまま藩知事に任命し、政府の行政管轄機関名としての「藩」が成立する。ちなみに、「藩」が公式な行政組織となるのはこの版籍奉還以降のことであり、新しい時代の幕開けそれ以前の近世においては、「江戸時代大名領地を基礎とする社会のことを藩と過称しているが、しかし当時において、藩とか藩主・藩士・藩校・藩学・藩風という言葉は殆ど見つからないのである。何々家御家来とか、御家中という言葉はある。また御領分・御領内・御領所という語もある。しかし藩内とか、藩主といういい方はあまり聞いたことがない。第l章つまり人的主従関係としての御家中川家臣団はある。また物的関係としての御領分はあったが、藩という具体像は早くから現実に浮び上がって来ているかどうか。意識としてそういう領国が浮び上がることはあっても、それも中期あるいは末期になってからではないだろうかに宮本又次「藩社会の機造と変動」『藩社会の研究』所収)といわれるように、「徳川幕藩体制」下における公式の行政組織ではなかった。後にみるように、大部分の潮来町域を「御領分」とした水戸徳川家および麻生新庄家の、版籍奉還「上表」文は次のように記される。臣昭武恐憧頓首再拝謹市奉上表候恭ク惟今也王政復古万機主新皇綱一ニ帰ス真ニ千古ノ盛事ト謂フへシ仰願クハ神皇建国ノ鴻業ヲ祖述シ列聖経論ノ偉績ヲ憲章シ大義ヲ明ニシ名分ヲ正シ普天率土一轍同軌ノ皇化一一心服シ徳輝海内ニ治ク是臣平生ノ素願也依之始祖以来受領仕候封土版籍ヲ奉還シ謹テ奉仰威稜四表二旦ンコトヲ朝裁度不顧恐健上言仕候臣昭武誠憧誠恐頓首明治二年巳三月徳川少将昭武花押謹テ奉言上候天下一新之御政体ヲ被為立方今回陸既-一平定シ皇威王政古-一被為復候上ハ徴臣受領罷在候封土之儀其憧私有仕候而ハ於名方不相立恐健之日々ニ光輝シ万民徳沢-一浴シ候段乍恐奉感悦候至奉存候依之版籍ヲ収メ封土ヲ奉還シ謹テ奉仰天裁希クハ微臣相当之御処置被仰付候様奉願候以上一一月三十日新庄下野守明治四年(一八七一)七月、明治新政府は薩摩・長州・土佐の三藩兵約481