ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

V近現代水宍笠下戸藩一水戸県(439村)戸藩宍戸県(27村)間藩一笠間県(l2村)館藩下館県(32村)下妻落一下妻県(1村)松岡藩一松岡県(29村)常陸知県事一若森県(185村)土石志浦藩土浦県(213村)問藩一石岡県(13村)筑藩一志筑県( 2村)牛久藩一牛久県(29村)竜ケ崎藩竜ケ崎県(6村)麻生藩一麻生県(20村)松川藩松川県(29村)安房上総知県事一宮谷県(203村)結城藩結城県(13村)古河藩ー古河県(31村)下総知県事一葛飾県(13村)若森県管轄278村石岡県管鰐5村松川県管轄4村結城県管轄13村淀県管轄10村峯山県管繕3村竜ケ崎管繕2村明治4年1月13日茨前橋県管籍34村茂木県管轄35村岩槻県管轄l村関宿県管籍2村城県明治4年1月13日新治県関宿県管跨83村烏山県管鰭2村若森県管轄181村牛久県管轄5村竜ケ崎県管轄3村峯山県管轄l村高岡県管籍10村淀県管轄4村明治4年1月14日明治6年6月15日~n務県千葉県明治8年5月7日茨城県第V-1図茨城県の誕生O石前後に比べると、町域の村々はその倍以上の規模であった。とくに村高の単純平均で一OOO石以上となり、茨城県近世村の平均村高五O幕府領・寺社傾であった。九か村の規模をその村高からみると、町域内高約一万石余のうち、八割以上が水戸藩領、一割強が麻生藩領、残りが配関係は、第Vil表および第明治維新を迎えた時、現在のV2潮来町図域にはみ九るつよのう村に々、に潮分来れ町て域いのた総。村支なる茨城県と合体して新茨城県が誕生、ほぼ現在の茨城県域が確定した。河内、鹿島、行方の六郡が、茨城、那珂、久慈、多賀、真壁の五郡より郡のうち利根川以北の地域、また新治県管轄下のうち新治、筑波、信太、千葉県管轄下のうち撞島、結城、岡田、豊田の四郡および葛飾、相馬両治六年六月には印膳県が千葉県に統合されたが、明治八年五月にいたり、の三県に組み替えられ、潮来町域の村々は新治県に属した。その後、明円第的Vなl行政図管に轄みがる実よ現うしにた、現。在の茨城県域も茨城県、新治県、印熔県りであった各府県管轄地の飛地が最寄りの府県に統合され、各府県の一され、三府七二県に整理されるとともに、幕藩体制下の領有関係のなごなっている。さらに、明治四年十一月には府県の全国的な統廃合が実施三O二県が設置された。水戸、麻生の両藩もこのとき水戸県・麻生県とよって「藩」はそのまま「県」となり、全国に三府(東京、大阪、京都)あったことなどもあって、一藩の抵抗もなく実現した。}の廃藩置県に対する新政府の統制が浸透していたこと、また諸藩財政が危機的状況に藩知事をはじめとする旧支配勢力の抵抗が予想された。しかし、諸藩にこれは版籍奉還とは異なり、従来の「藩」の解体をめざしたものであり、して県を置くという「詔書」を強圧的にくだした。「廃藩置県」という。一万人を東京に集め、その武力を背景に在京の諸藩知事を百集、藩を廃482