ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第1章内以ニ上於ノテ男地子租ニヲシ納テム其ル町モ村ノ或」ハに聯限合る村と内さニれ本た籍住。た居だヲ、定選メ挙其人町は村戸及主聯の合み村489新しい時代の幕開け治Zこれによれば、戸長の選挙人および被選挙人の資格を「満二十五歳その戸長選挙法は明治十一年十二月二十八日布達された(丙百四十六号)四村を除いて、改正連合村の区域は従来のものを踏襲した。とにあるという位置づけがされたうえ、戸長の公選制度が採用された。が、明治二十二年の町村制で大生原村となる大賀・大生・釜谷・水原のこのように国政委任事務が多く含まれる職務と県・郡の強い規制のも所在地、管轄町村名、戸数および人口は第V7表に示すとおりである又ハ命令-一依テ従事スヘキ事」と規定された。九六の(連合戸)長役場が置かれた。}の改正による潮来町域の戸長役場そして最後に、「府知事県令文ハ郡区長ヨリ命令スル所ノ事務ハ規則戸長の管轄区域および戸長役場位置の一部変更を行い、茨城県内には二籍のこと」「徴兵下調べのこと」などの戸長の職務内容が規定された。の末端に位置づけるため戸、長の官選制を施行する。また同年六月には、を町村内に示すこと」「地租および諸税を取りまとめ上納すること」「戸よる農村の窮乏化が進行するなか、明治政府は戸長層を中央集権的行政同時にコ戸長職務之概目」(茨城県布達丙二百号四)が十示され布、「告布達明治十七年(一八八四)五月、自由民権運動の激化と松方デフレ政策に署ヲ以テ」(「郡役所甲号達」)報告するようにという指令が出された。またられる。第V-6表村潮来村大洲村辻村築地村明治12年実施聯合村(行方郡)名延万村小峯弥太郎水原村釜谷村大生村大賀村根本善吉(水原)明治15年4月「茨城県町村聯合戸長名簿』より作成第V-7表(聯合)戸長氏名宮本山三郎草野祐七明治17年改正聯合村(行方郡)戸の長所役在場地戸数人口村名(潮来)(辻)矢幡村堀之内村清水村矢幡村5613318石神村根小屋村大賀村茂木村大生村釜谷村築地村4372272築地村辻村水原村潮来村9774572潮来村大洲村延方村6463807延方村って一般的には戸長自宅に置かれた戸長役場位置も、多少の移動が考え「戸長役協所在地及びその所轄町村名並びに町村規模に関する調JCr茨城県市町村合併史』所収戸長役場所在地及び町村名は明治19年l月現在.戸数人口は明治17年1月現在)によるものであり、ここに記された戸長名には若干の異動があると思われ、従6表は明治十五年四月現在の『茨城県町村聯合戸長名簿』から作成したによる町村合併の前提をなしていたことがうかがわれる。ただ、第V戸長役場位置をめぐる町村の「聯合又ハ分裂」が明治二十二年の町村制後述のように町村制によって誕生した一町三村の区域と一致しており、表に示したように三つの連合村とひとつの独立村に属した。}の区域は、こ三の新法体制下の町村再編成によって、潮来町域の村々は第Vl6会法によって町村会が公的代議機関として誕生する。されたが、書記・人民総代はそのまま継続、そして明治十三年の区町村よる町村の再編成によって、従来の正副区長・正副戸長・村市長は廃止ヲ問ハス」としたこ。のような大区小区制廃止・郡区町村編制法施行にに限られたのに対し、被選挙人は「才能徳望ヲ要スルカ故ニ其戸主子弟