ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第1章新しい時代の幕開け町村制(現潮来町域)町村名旧村名戸数人口倉庫厩寺院学校病院解小廻漁潮来町津知村第V-8表明治22年潮来1004432351444435大洲774381788-._-骨争ー--_...言十1081476168455522辻2141109 571121築地65438322骨・‘晶骨骨骨骨...._-279 1547 8 93 2 2 121水原16287836285釜谷5330552039大生原村大生4020722610大賀54315512...骨.ー晶a晶圃a‘・.島田晶言十309170511132146延方村延方712 3940 5 56 595明治23年12月31日調「徴発物件一覧表』より作成.領地ニ属シタル」ことをあげている。さらに村名および役場位置につい差のない人情風俗の背景として両「村ハ徳川時代一於テ等シク水戸藩ノ交際上最モ親密ナルヲ以テ之ヲ合併シテ一村ヲ造成セリ」と記され、大ト雛モ、両村ハ共-富一裕ニシテ独立自治ノ資力十分、人情風俗大差ナク「本ハ村旧二ケ村相合併スルモ戸数二百八十九一一シテ即三チ百ニ充タス次に辻村、築地村の二村合併によって成立した津知村の合併理由は、一置ク」としている。交通便宜ノ地ニシテ本町ヲ統治スルニ最モ便利ノ地ナリ故ニ役場ヲ此地六O年余の問、行政区画の変化はほとんどみられなかったのである。大生原の三村が潮来町に合併する形で現在の潮来町が誕生するが、のしい一町三村が成立した。そして昭和三十年二月十一日、津知、延方、このように、町村制の実施に先立つ町村合併により、潮来町域には新ク」としている。村中要衝ノ地タルヲ以テ本村ヲ統治スルニ便宜ナリトシ役場ヲ此所ニ設彊域最モ大ナリ然レトモ或ハ一方一一偏スルヤノ嫌ナキニアラスト雛モ本名及水原ノ原ヲ取リテ以テ大生原村ト称ス、本村ノ内水原村ハ戸口多クおよび役場位置については、「本村名ハ往古大生郷ト称セシヲ以テ其郷ク新庄家ノ領地(麻生藩領)シ一タ一ル属」ことをあげている。また、村名由として、水戸藩領の津知村と同様に、「旧各村共旧藩時代-一於テ等シルヲ以テ之レヲ合併シテ一村ヲ造成セリ」。そして「人情大差ナキ」理ニシテ独立自治ノ資力ニ乏シ然ルニ地勢人情大差ナク往時間郷ノ縁由ア村の合併理由は次のように-記される。「本村ハ旧各村共ニ何レモ小村落最後に、水原、釜谷、大賀、大生の四村合併によって成立した大生原していた結果であった。ヲ存スル町村ハ従来ノ憧据置キ独立トス」という規程にかなう規模に達係ハ可成保存スへシ故-一人口調密且自治ノ目的ヲ達シ得へキ充分ノ資力れは延方村が、当時内務省から示された「町村合併標準」の「従来ノ関十分独立自治-一…堪ユルヲ以テ合併ヲ」要独セ立スして一村となった。γ」また延方村は、「本村ハ戸数六百六十二人口三千七宵四十ニシテ資力ナリ故ニ此地-一役場ヲ設」クとしている。至ノ交通亦タ便ニシテ殆ント村ノ中央ニ位シ本村ヲ統治スルニ至便ノ地知ト称セシ縁故アルヲ以テ津知村ト名ク、本村ノ内旧辻村ハ人畑多ク四ては、「本村ノ内旧辻村ハ築地村ヨリ分離セシ村落ニシテ往古此地ヲ津491