ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代明治二十二年(一八八九)四月一日に施行された町村制の現町村常リ主な内容は次のようなものであった。まず、町村内に居近住するものを住民とし、その住民から「公民」を区別しVて公民に町村行政に参加する権利を認めた。)の公民の資格は、「凡帝国臣民ニシテ公権ヲ有スル独立ノ男子二年以来町村ノ住民トナリ其町村ノ負担ヲ分任シ及其町村内ニ於テ地租ヲ納メ若クハ直接国税年額二円以上ヲ納ムル者」(町村制第七条)とされた。また、町村会議員の選挙に等級選挙制が採用された。町村会議員の定員は、人口の多寡により定めら'し』,-手〉、オ犬・カその半数を二級選挙人が選挙し、残りを一級選挙人が選挙するものとしたのである。一級、二級の区別は、「選挙人中直接町村税ノ納税額多キ者ヲ合セテ選挙人全員ノ納ムル総額ノ半-一当ル可キ者ヲ一級トシ爾余ノ選挙人ヲ二級トス、一級二級ノ間納税額両級ニ跨ル者アルトキハ一級ニ入ル可シ又両級ノ間-一同額ノ納税者二名以上アルトキハ其町村内ニ住居スル年数ノ多キ者ヲ以テ一級-一入ル若シ住居ノ年数一一依リ難キトキハ年齢ヲ以テシ年齢-一モ依リ難キトキハ町村長抽範ヲ以テ之ヲ定ム可シ」(町村制第十三条)というものであった。さらに、町村会議員はもちろん町村会によって選ばれる町村長や助役も名誉職すなわち無給が原則とされた。その背景には、地方の名望家を「義務」「名挙己のもとに町村運営に参加させるという、次のような明治政府の意図があった(「市制町村制理由」)。分権ノ主義一一依リ行政事務ヲ地方二分任シ国民ヲシテ合同ノ事務ヲ負担セシメ以テ自治ノ実ヲ全カラシメントスルニハ技術専門ノ職若常識トシテ任ス可キ職務ヲ除クノ外概子地方ノ人民ヲシテ名誉ノ為メ無給ニシテ其職ヲ執ラシムルヲ要ス而シテ之ヲ担任スルハ其地方人民ノ義務ト為ス是国民タル者国ニ尽スノ本務ニシテ丁壮ノ兵役ニ服スルト原則ヲ同クシ更ニ一歩ヲ進ムルモノナリ然レトモ人民ヲシ492テ普ク此義務ヲ帯ハシムルトキハ其任軽シト為サス故一二朝ニシテ此制ヲ実行セントスルハ頗ル難事一一属スト雛モ其目的タル国家永遠ノ計ニ在リテ効果ヲ速成-一期セス漸次参政ノ道ヲ拡張シテ公務ニ練熟セシメントスルニ在リ是ヲ以テ力メテ多ク地方ノ名望アル者ヲ挙ケテ此任ニ当ラシメ其地位ヲ高クシ待遇ヲ厚クシ無用ノ労賃ヲ負ハシメス倦怠ノ念ヲ生セサラシムルトキハ漸ク其責任ノ頂キヲ知リ参政ノ名誉タルヲ弁スルニ至ラントスこのような町村制施行直後の潮来町域一町三村の運営を図示したものが、第V131V16図である。}れは明治二十六年発行の『一市三郡名家揃』から作成したもので、厳密性には欠けるが、町村制施行直後の一町三村の運営が統一的な史料のもとに術敵でき、また前述「市制町村制理由」にいう「地方ノ名望アル者ヲ挙ケテ此任-一当ラシメ」た事実を明瞭に示している。若干の説明を加えておこう。まず町村長・助役は、町村在住の公民で三O歳以上、選挙権を有するもののなかから、町村会によって選任された。任期は四年、前述のように原則として名誉職すなわち無給であった(ただ町村制は第五十六条で「町村ノ状況ニ依リ町村条例ノ規程ヲ以テ町村長ニ給料ヲ給スルコトヲ得」として有給町村長の規程も設けていた)。また収入役は町村長の推薦により町村会によって選任された。有給で任期は四年、「町村長及助役ヲ兼ヌルコトヲ得ス」(町村制六十二条)とされた。第V4図にみる津知村の兼平友七が助役、収入役を兼務できたのは、同条の例外規程川「収入支出ノ寡少ナル町村一一於テハ郡長ノ許可ヲ得テ町村長又ハ助役ヲシテ収入役ノ事務ヲ兼掌セシムルコトヲ得」によるものであった。さらに「町村ニ書記其他必要ノ付属員並使丁ヲ置キ相当ノ給料ヲ給ス」(町村