ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

V近現代村役場(水原)村長飯島長次郎(釜谷)助役収入役小堀嘉一郎(大賀)村会議員(12名)箕輪清一郎(大賀)松信建蔵(大生)飯田治三郎(大生)風間能治(釜谷)大川久右衛門(釜谷)大川鴎作(釜谷)小沼勘衛(水原)小沼泰蔵(水原)ほか般社寺総代大川仁蔵(大生)平山権三郎(大生)松信建蔵(大生)松信清助(大生)風間能治(釜谷)大川久右衛門(釜谷)関川重助(釜谷)小池文平(水原)戸数325戸人口1761人県会議員選挙有資格者(地租5円以上)衆議院議員選挙有資格者(地租15円以上)尋常小学校位置釜谷水原村民村役場(上ノ須賀)村長下河四郎之介助役今泉覚次郎収入役立野常松書記井村寛次郎般村民戸数719戸人口3949人県会議員選挙有資格者(地租5円以上181人衆議院議員選挙有資格者(地租1円以上58人尋常小学校位置諏訪下分校位置徳島第V-6図明治24年末大生原村の運営第V-5図明治24年末延方村の運営月二十五日村長に抜擢され、措据勉励村治の刷新に努力し以て自治収入役に挙げられ、尋で四十年四月村会議員に当選す、四十二年一て漢学を修業し造詣深し、性温良恭譲の徳望家にして明治三十四年大字辻に生る、父を大川五右衛門と称す、氏は鈴木徳隣先生に就き【大川春吉】津知村長安政二年一月二十二日を以て行方郡津知村である(昭和十四年『茨城』人)名録。次男恒雄は東京商船学校を出て北海道に於て無線電信技師を奉職中農会長の職に在る、長男利雄は東大法科を卒業目下検事を奉職中、日町長となり三期勤めて昭和十三年九月辞職、昭和十年以来潮来町一日一生る、初め同町役場書記を勤めていたが、大正十二年八月二十【磯山源七】潮来町長行方郡潮来町四丁目の人、明治十三年一月した。物のプロフィールを紹介するには格好のものであるため、そのまま掲載若干の事実誤認も含まれるが、当時刊行され広く利用されたもので、人おこ・なフお。、以下の記述には史料によって事実の異同がみられたり、について、当時刊行された人名録等によりそのプロフィールを組介して後に、これら六O名余の町村長のなかから比較的在任期間の長い若干名来町域一町三村における町村長の一覧を示したものであるが、本項の最さて第Vl9表は明治二十二年町村制施行以後昭和二十年までの、潮原村が一二人とされたのである。来町、延方村が一四人(町村条例により規程より二人増)、津知村、大生これらの規程から潮来町域一町三村の議員定数は、図にみるように潮人口二万以上町村ニ於テハ議員三十人人口一万以上二万未満ノ町村ニ於テハ議員二十四人494