ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

『郷土考』)。するが如く、村葬の礼を以て之れに報し先壁の次に葬る(山野徳介【山野庄之介】延方村長行方郡延方村四六二の人、明治三年五月三日生る、其祖は天保二年同村山野荘三郎氏より分家して小頭を勤む、廿八年より大正元年まで村会議員の職に在任以川六年郡会議員に当選、次で郡会議長に推さる、所八年助役となり四十年村長に就任、大正十三年まで再選文再選重任す、其間農会代表者、青年団長、産業組合長、衛生組合長、県是実行組合長、地主会幹事等に挙げられ、大正元年自治功労者として郡長より硯箱を添て表彰状を授与せらる、大正四年坂知事より効績状を贈られ、力石知事よりも表彰さる、十一年五月宮城拝観を新しい時代の幕開け第1:叢差許され、四年一月森岡知事よりメートル度量衡指導員を嘱託せらる、尚大正期の延方村役場品川七年頃より元県会議員前島忠治郎氏等と神宮橋の架設運動を起し今日実現の基礎を築きたり(昭和五年『茨城人名辞書』)。第V-9図【下河延方村長辺行方郡延方村の人、明治九年三月四日、先考四郎兵衛氏の男に生る、素封家にして先考は組頭人民総代戸長等を勤め一郷の尊敬を受けし人、氏其後を承けて先代四郎兵衛氏の再来なりとして信望を負う、円満なる人格と非凡なる識見とは先代に努努たり、挙げられて村会議員たりし事五期、其間区長、消防小頭、郡会議員、学務委員、国勢調査員、助役等を歴任、敏腕以て其の責務を果す、郷民心服する事愈々厚く、遂に氏を推して村長の要職に就かしむ、氏亦発奮励精して、延方を県内の模範村たらしむ、令嗣徳衛氏は嘗て宇都宮連隊に入営、模範兵として上等兵に進級、帰来家庭に在りたり(昭和五年『茨城人名辞書』)。て農事に勉励し、篤農家として知らる、現に在郷軍人会延方分会長【大川久左衛門】大生原村長慶応二年十月二十二日を以て行方郡大生原村釜谷の素封家に生る、父祖累代名主を勤め声望近郷に百一る、明治五年以来酒造業を営み所謂大川正宗の醸造大正期の大生村役場元として名あり、氏は学を郷党に修め、明治二十五年村会議員に挙げらる、続い第V-10図て学務委員に推され、三十九年村長に抜擢さる時恰も学校建築の難局に会し、斡旋奔走大いに497